リチャード・リーコック(Richard Leacock、1921年7月18日 - 2011年3月23日)は、イギリス・アメリカのドキュメンタリーの映画監督であり、ダイレクト・シネマの先駆者のひとりであった。
1921年7月18日、ロンドン出身。友人の間では「リッキー」として知られるリーコックは、スペインの自治州であるカナリア諸島(イギリス人家庭であるリーコック家はスペイン領、ポルトガル領の島々でマディラ・ワイン製造とバナナ栽培を長く行っていた)のバナナ栽培農園で育ち、やがてイギリスの学校に送り出された。
名門ベダレス・スクールに通い、ダーティントン・ホール・スクールにいた1929年から1938年までの間に、学生映画ユニットの結成に助力し、最初の8分の短篇サイレント映画『Canary Island Bananas』をつくった。
映画づくりの技術的基礎についてさらに学ぶため、ハーバード大学で物理学を専攻した。第二次世界大戦中は、アメリカ陸軍の戦闘写真家であった。1946年、 ロバート・フラハティ監督が『ルイジアナ物語』のカメラマンとしてリーコックを雇った。1960年代初頭、リーコックとロバート・デュー、D・A・ペネベイカーらとともに「デュー・アソシエイツ」社を設立した。ペネベイカーもまた技術的バックグラウンドを持ち、デューはプロデューサーとしての仕事をした。彼らはともに、シンクロ録音と太陽光カメラの使用にもとづいた映画製作の新しいスタイルを開発した。
1963年、リーコックは同社を離れ、ペネベイカーと新会社を設立した。1968年、ジャン=リュック・ゴダール、D・A・ペネベイカーとドキュメンタリー映画『ワン・アメリカン・ムービー』を共同製作する(ゴダールは編集・完成を放棄、1972年、ペネベイカーの手により『1PM』として完成)。1969年、マサチューセッツ工科大学の映画学科長となり、1988年まで在籍した。1980年代、映画製作の技術的側面に興味を持ち続けており、フランスのテレビ局のためにビデオ映画を製作した。
そのもっとも素朴な表現において、ダイレクト・シネマとは、「あるがままの人生(life as it is)」をフィルムに収めることであった。しかしリーコックは、素朴な映画作家ではなかった。1988年、あるインタビューを下記のようなことばで締めくくっている。
『Lulu in Berlin』は、1999年にクライテリオンから発売された『パンドラの箱』(1929年)のDVDに、エクストラとして収録されている。
2011年3月23日、フランス共和国の首都パリで客死[1]。89歳没。