リック・スタイナー | |
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2018年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
リック・スタイナー ロブ・レックスタイナー |
本名 |
ロバート・レックスタイナー (ロバート・リヒシュタイナー) |
ニックネーム |
ドッグ・フェイスド・グレムリン 地獄の番犬 |
身長 | 180cm - 183cm |
体重 | 127kg(全盛時) |
誕生日 | 1961年3月9日(63歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ミシガン州 ベイ郡ベイシティ |
スポーツ歴 |
レスリング アメリカンフットボール |
トレーナー |
エディ・シャーキー ブラッド・レイガンズ |
デビュー | 1984年 |
リック・スタイナー(Rick Steiner、本名:Robert Rechsteiner、1961年3月9日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州ベイシティ出身。WCW、WWFなどで活躍した。息子はWWEスーパースターのブロン・ブレイカー[1]。
レスリング選手出身であることをキャラクターに活かし、スタジアムジャンパーとショルダータイツをコスチュームに、イヤーガードを付けたまま試合を行った[2][3]。その風貌とファイトスタイルから、ドッグ・フェイスド・グレムリン(The Dog-Faced Gremlin)の異名で呼ばれた[2]。
ミシガン大学ではレスリングの選手として活躍し、1983年のビッグ・テン・カンファレンスでは第2位の成績を収めた。同じミシガン州出身のジョージ・スティールの紹介でミネソタ州のエディ・シャーキーのもとでトレーニングを積み、1984年にプロレスラーとしてデビュー。
ミネソタのAWA、カナダのモントリオール地区を転戦後、1986年よりビル・ワットが主宰するミッドサウス地区のUWFに参戦。翌1987年2月、当時ミッドサウス地区との提携ルートを持っていた新日本プロレスに初来日し、スティーブ・ウィリアムスと組んでIWGPタッグ王座決定リーグ戦に出場。アントニオ猪木&藤波辰巳、前田日明&高田伸彦などのチームと対戦し、前田とのシングルマッチも行われた[4]。帰国後の4月12日には、若手ヒール時代のスティングとのコンビでテリー・テイラー&クリス・アダムスを破り、UWF世界タッグ王座を獲得している[5]。
ワットがNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズにUWFを売却すると、スティングやジム・ロスらと共に同プロへ移籍。1987年末にマイク・ロトンドらと大学のレスリング・チームをモチーフとしたヒールのユニット、バーシティ・クラブを結成するが、1988年9月に仲間割れしてベビーフェイスに転向[6]。12月26日にはロトンドからNWA世界TV王座を奪取した[7]。
クロケット・プロがWCWに買収されてからは、1989年より実弟のスコット・スタイナーとのスタイナー・ブラザーズで活躍。同年11月1日、ファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)を下してミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座(後のWCW世界タッグ王座)を獲得した[8]。
1991年3月21日、スコットとのスタイナー・ブラザーズとして新日本プロレスの東京ドーム大会に出場し、馳浩&佐々木健介からIWGPタッグ王座を奪取[9]。以降も新日本への参戦を続け、1992年6月26日には日本武道館でビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロを破り、同タッグ王座に返り咲いた[9]。
1992年末、WCW新副社長ビル・ワットとの軋轢からWCWを離脱し、兄弟揃ってWWF(現:WWE)へ移籍。引き続きタッグチームとして活動し、1993年6月14日にテッド・デビアス&IRSからWWF世界タッグ王座を奪取した[10]。WWFではブレット・ハート&オーエン・ハートとの兄弟チーム対決も行われている[11]。1994年のWWF退団後は、新日本プロレスやECW(レイヴェン&スティービー・リチャーズらと対戦[12])を経て、1996年にWCWへ復帰した。
その後もスコットとのタッグで活動し、ハーレム・ヒート(スティービー・レイ&ブッカー・T)やアウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)とWCW世界タッグ王座を争った[13]。1998年にスコットがヒールターンしてnWoに加入すると、スタイナー・ブラザーズを解散して兄弟抗争をスタートさせた[14][15]。
2001年2月5日にはシェーン・ダグラスを破りWCW USヘビー級王座を獲得したが[16]、翌月末にWCWが崩壊してからはTNAやインディー団体を中心に活動。日本の団体への参戦も続け、2004年7月にはプロレスリング・ノアへ登場、8月1日に愛知県体育館にて池田大輔からWLW世界ヘビー級王座を奪取した[17]。
2006年5月より再度TNAに出場。同年に予定されていたスコットとの兄弟チーム再結成は遅れるも、2007年5月に行われたPPV "サクリファイス" にてスコットの試合後に登場し、スタイナー・ブラザーズを復活させた。以降はチーム3Dと抗争を展開、ブードゥー・キン・マフィアことニュー・エイジ・アウトローズとも対戦している。
2008年1月4日、スコットと共に新日本プロレスに久々に来日。かつてIWGPタッグを奪取した東京ドームにて、ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコが保持する同王座に挑戦した。同年にTNAを離脱し、以降はインディー団体を主戦場としている。
2022年4月1日、スタイナー・ブラザーズとしてWWE殿堂に迎えられた[18][19]。