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人物情報 | |
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生誕 |
1825年9月4日![]() ![]() |
死没 | 1886年11月25日 (61歳没) |
出身校 | サンクトペテルブルク大学 |
学問 | |
研究分野 | 博物学・地理学・人類学 |
リヒャルト・オットー・マーク(Richard Otto Maack 、または Richard Karlovic Maak、ロシア語: Ричард Карлович Маак; 1825年9月4日 – 1886年11月25日)は、ロシアの博物学者、地理学者、人類学者である。ロシアの極東地域、シベリアで研究した[1] 。
1825年、ロシア帝国下のアレンスブルク(現エストニアの(クレサーレ)で生まれた。マークの生きた時代はエストニアはロシア帝国の一部であった。サンクトペテルブルク大学で自然科学を学び、1852年にイルクーツクの高校(Gymnasium)の教授になり、後に校長になった。1868年から1879年には北シベリアの学校の監督官を務めた。
1850年代に何度もシベリアを探検し、アムール川(1855年–1856年)、ウスリー川(1859年)も訪れた[2]。1853年から1855年に行われたロシア地理学会のヴィリュイ川、チョーナ川流域の探検に参加し、山岳学、地質学、人口についての報告を行った。多くの新種の博物学的標本を収集した。
植物学の分野ではハシドイの変種、Syringa reticulata var. amurensisをカール・ヨハン・マキシモヴィッチと独立に発見したとされる[3]。
マメ科の属名、Maackia (イヌエンジュ属) やスイカズラ科の種、Lonicera maackii (ハナヒョウタンボク) に献名されている。