『リフュジーズ・オブ・ザ・ハート』 | ||||
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スティーヴ・ウィンウッド の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | イングランド Netherturkdonic Studios、ナッシュビル Emerald Sound[1] | |||
ジャンル | ロック、ブルー・アイド・ソウル | |||
時間 | ||||
レーベル | ヴァージン・レコード | |||
プロデュース | スティーヴ・ウィンウッド | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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スティーヴ・ウィンウッド アルバム 年表 | ||||
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『リフュジーズ・オブ・ザ・ハート』(Refugees of the Heart)は、イギリスのロック・ミュージシャン、スティーヴ・ウィンウッドが1990年に発表した、ソロ名義では6作目のスタジオ・アルバム。
前作『ロール・ウィズ・イット』(1988年)に引き続き、トラフィック時代の盟友ジム・キャパルディがゲスト参加した[9]。シングル曲「ワン・アンド・オンリー・マン」はキャパルディとの共作で、ウィンウッドによれば「アルバムがほぼ完成した段階になって、何かが足りないと感じた。アルバムのバランスを良くするために、よりアップ・テンポの曲を作ろうと思った」ことから、1日で書き上げたという[9]。なお、ウィンウッドとキャパルディは、1994年にトラフィックを再結成した[10]。
ウィル・ジェニングスと共作した「イン・ザ・ライト・オブ・ディ」は、ネルソン・マンデラ釈放のニュースにインスパイアされた曲である[9]。
全英アルバムチャートでは3週トップ100入りしたが、最高26位にとどまり、ウィンウッドのスタジオ・アルバムとしては初めて、全英トップ20入りを逃す結果となった[4]。アメリカでは、1990年12月8日付のBillboard 200で27位を記録し、自身7作目(ベスト・アルバムも含む)の全米トップ40アルバムとなった[5]。
William Ruhlmannはオールミュージックにおいて5点満点中2.5点を付け、ウィンウッドのソロ・キャリアにおいて『スティーヴ・ウィンウッド』(1977年)、『トーキング・バック・トゥ・ザ・ナイト』(1982年)に続く3度目の失敗作と位置付けている[10]。また、デヴィッド・ブラウンは1990年11月23日付の『エンターテインメント・ウィークリー』誌のレビューでCマイナスを付け「前作『ロール・ウィズ・イット』と同様、退屈な白人のR&B」と評している[11]。
特記なき楽曲はスティーヴ・ウィンウッドとウィル・ジェニングスの共作。