リーズデイル男爵(第2期) Baron Redesdale | |
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Arms:Quarterly: 1st and 4th, Argent a Fess between three Moles Sable (Mitford); 2nd and 3rd, Azure three Lozenges conjoined in fess Or a Canton Ermine (Freeman) Crests:1st: two Hands couped at the wrist proper grasping a Sword erect piercing a Boar's Head erased Sable (Mitford); 2nd: a Demi Wolf Argent charged on the shoulder with a Fess dancetty Gules and holding between the paws a Lozenge Or (Freeman) Supporters:On either side an Eagle wings expanded Sable beaked and membered Or charged on the breast with a Lozenge also Or and gorged with a wreath of Shamrock Vert
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創設時期 | 1902年7月22日 |
創設者 | エドワード7世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代男爵アルジャーノン・フリーマン=ミットフォード |
現所有者 | 6代男爵ルパート・ミットフォード |
相続人 | バートラム・ミットフォード閣下 |
付随称号 | なし |
現況 | 存続 |
モットー | God Careth For Us |
リーズデイル男爵(英語: Baron Redesdale)は、連合王国貴族の男爵位。過去に二回創設されており、現存する第2期のリーズデイル男爵位は、外交官アルジャーノン・フリーマン=ミットフォードが1902年に叙されたのに始まるものである。
庶民院議員、庶民院議長、アイルランド大法官などを歴任したジョン・フリーマン=ミットフォード(1748–1830)が、1802年2月15日に連合王国貴族「カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにおけるリーズデイルのリーズデイル男爵(Baron Redesdale, of Redesdale in the County of Northumberland)」に叙されたのが最初の創設である[1][2][3]。彼はもともとミットフォード姓だったが、母方の叔母の夫にあたるトマス・エドワーズ=フリーマンが所有するバッツフォードを含む荘園を相続した際にトマスの遺言によって「フリーマン=ミットフォード」に改姓した[3]。
1830年1月に初代男爵が死去するとその唯一の子であるジョン(1805–1886)が第2代リーズデイル男爵位を継承した。彼はさらに1877年1月3日に連合王国貴族「カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにおけるリーズデイル伯爵(Earl of Redesdale, in the County of Northumberland)」に叙されている[4][5]。しかし子供がなかったため、1886年の彼の死をもってリーズデイル伯爵位もリーズデイル男爵位も消滅した[5][6]。
リーズデイル伯ジョンの従姪孫(いとこの孫)にあたるアルジャーノン(1837–1916)は、1858年から1873年まで外務省に勤務し、外交官として幕末から明治にかけて日本に滞在し、1871年には『昔の日本の物語』を著した[7]。1886年にリーズデイル伯爵が死去するとその遺産を相続し、「フリーマン=ミットフォード」に改姓した[8]。1892年から1895年にかけて保守党の庶民院議員を務めた[7][8]。そして1902年7月22日に連合王国貴族「カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにおけるリーズデイルのリーズデイル男爵(Baron Redesdale, of Redesdale in the County of Northumberland)」に叙せられた[9][8]。これが現在まで続く2期目のリーズデイル男爵位である。彼は相続したバッツフォードの邸宅に大規模改築を行った[10]。
1916年の初代男爵の死後、その次男デイヴィッド(1878–1958)が第2代リーズデイル男爵位を継承した[11]。彼の代にバッツフォードの荘園は手放すことになった。彼はミットフォード姉妹の父親としても著名である。
2代男爵の死後は弟2人が順次爵位を継承。その後、初代男爵の末子の子孫によって現在まで継承されている。2015年現在の当主は1991年に襲爵した第6代リーズデイル男爵ルパート・バートラム・ミットフォード(1967-)である。6代男爵は自由民主党所属の政治家であり、1999年貴族院法によって貴族院の議席を失ったものの、2000年に一代貴族「カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにおけるリーズデイルのミットフォード男爵(Baron Mitford, of Redesdale in the County of Northumberland)」に叙されて貴族院議員に復している[8][12]。
現在の住居はロンドン・セント・マークス広場(St Mark's Square)2番地[8]。
ジョン・ミットフォード (?-1761) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1802年リーズデイル男爵(1期) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム (1744-1827) | 初代リーズデイル男爵 ジョン (1748-1830) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1877年リーズデイル伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー (1769-1803) | 初代リーズデイル伯 2代リーズデイル男爵 ジョン (1805-1886) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
リーズデイル伯廃絶 リーズデイル男爵(1期)廃絶 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー (1804–1883) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1902年リーズデイル男爵(2期) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
初代リーズデイル男爵 アルジャーノン (1837–1916) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
2代リーズデイル男爵 デイヴィッド (1878–1958) | 3代リーズデイル男爵 バートラム (1880-1962) | 4代リーズデイル男爵 ジョン (1885-1963) | アーネスト (1895-1939) | ||||||||||||||||||||||||||||||
ミットフォード姉妹 | 5代リーズデイル男爵 クレメント (1932–1991) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
6代リーズデイル男爵 ルパート (1967-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
バートラム (2000-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||