1965年 | |
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1899年4月11日 アメリカ合衆国 オハイオ州コロンバス |
死没 | 1977年7月25日 (78歳没) |
出身校 | ウィリアムズ大学、ハーバード大学 |
学問 | |
研究分野 | 化学(有機化学) |
研究機関 | ブリンマー大学、ハーバード大学 |
学位 | 博士 |
ルイス・フレデリック・フィーザー(Louis Frederick Fieser, 1899年4月7日 - 1977年7月25日)はアメリカ合衆国の有機化学者。1943年にナパームを発明・実用化した。ビタミンKの初合成をはじめとする血液凝固因子の研究、抗マラリア薬としてのキノン類の合成・探索、のちにコルチゾンの化学合成達成に繋がるステロイド類に関する研究、多環芳香族炭化水素の性質に関する研究を行った。
1899年、オハイオ州コロンバスに生まれる。1920年にウィリアムズ大学で学士号を取得し、1924年にハーバード大学のジェームズ・コナントの下で博士号を取得した。博士論文はキノンの酸化還元電位に関するものであった[1]。1924年から1925年まで博士研究員として、イギリス・オックスフォード大学のウィリアム・パーキン・ジュニアと、またドイツ・フランクフルト大学でユリウス・フォン・ブラウンと共に研究を行った。1925年から1930年までブリンマー大学で働き、後に妻となるマリーとここで出会った。その後ハーバード大学へと戻り助教授となった。
フィーザーは1939年ごろビタミンKの構造決定競争に加わっており、年末には合成の達成を報告していた[2]。フィーザーの追悼記事によれば、受賞者なしとされていた1941年および1942年のノーベル生理学・医学賞の候補者であったという[1]。しかしながら、他の研究者が1943年にビタミンK発見者としてノーベル賞を受けている。
1962年、アメリカ合衆国公衆衛生局長官の諮問委員会に加わり、同委員会は1964年に喫煙と健康の関連性についての報告書を出版した。フィーザーはチェーン・スモーカーであったが、1965年に肺がんであると診断され、回復してからは喫煙の習慣をやめ、同委員会の提出した結論の啓蒙に努めた。1968年にハーバード大学の名誉教授となった。