ルシファーズ・フレンド Lucifer's Friend | |
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出身地 | ドイツ ハンブルク |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック ハード・ロック ヘヴィメタル フュージョン |
活動期間 | 1970年 - 1982年、1994年、2014年 |
公式サイト |
lucifersfriend |
メンバー |
ジョン・ロートン ペーター・ヘスライン ディーター・ホーンズ ステファン・エッゲルト ヨギ・ヴィヒマン |
旧メンバー |
ヨアキム・ライテンバッハ ペーター・ヘクト ヘルベルト・ボーンホルト マイク・スターズ エイドリアン・アスキュー カート・クレス アンドレアス・ディッケ ウド・ダーメン |
ルシファーズ・フレンド(Lucifer's Friend)は、1970年代に活躍したドイツのロック・バンド。ハード・ロックともプログレッシブ・ロックとも形容できる音楽を指向していた。ユーライア・ヒープで活動したイギリス人ボーカリストのジョン・ロートンが在籍していたことでも有名。
The German Bonds[1]の元メンバー4人がロートンに出会い、アステリックス (Asterix)[2]を結成して1970年にアルバムを1枚発表[3]。その後、ルシファーズ・フレンドと改名し、ヴァーティゴ・レコードと契約。同年、ロートンのハイ・トーン・ボーカルと重厚なハモンド・オルガンがうねるハード・ロック・アルバム『ルシファーズ・フレンド』でデビューした。スコーピオンズのデビュー・アルバムが発表される2年前だったことを考えると、彼等はドイツのハード・ロックの先駆者であると言えよう。更にプログレッシブ・ロック色を強めた『ホウェア・ザ・グルーピーズ・キルド・ザ・ブルース』(1972年)、より明快なロックを指向した『ロックンロール・シンガー』(1973年)を次々と発表。
その後、ドラマーの交替を経て、大編成のブラス・セクションを導入した『バンケット』(1974年)を発表。続いて『マインド・エクスプローディング』(1976年)を発表した。
1977年、ロートンがデヴィッド・バイロンの後任としてユーライア・ヒープに加入することになった。彼等はイアン・カシックがボーカルを担当したシングルを発表した後、コロシアムIIなどで知られるマイク・スターズを新しいボーカリストに迎え、エレクトラ・レコードに移籍して『グッド・タイム・ウォリアー』(1979年)を発表。続いて、セカンド・キーボーディストを迎えた6人体制で『スニーク・ミー・イン』(1980年)を発表した。
ロートンはユーライア・ヒープで3作のアルバムの制作に参加した後、1979年に脱退。彼はディーター・ホーンズ、カート・クレスなどルシファーズ・フレンドのメンバーをバックに迎えたソロ・アルバム『Heartbeat』[4](1980年)発表後、ルシファーズ・フレンドに復帰。彼等はハード・ロック色の濃い『ミーン・マシーン』(1981年)を発表するが、ヒットには結びつかなかった。1982年に解散。
ロートンはドイツのハード・ロック・バンドのZARで活動。そしてルシファーズ・フレンドのギタリストだったペーター・ヘスラインとルシファーズ・フレンドIIというユニットを結成し、『Sumogrip』(1994年)を発表した。哀愁のメロディを盛り込んだハード・ロックの作品だが、ジャケットに相撲を取る力士の写真が使用された[5]ためか、日本では発売されなかった。
2014年に再結成。2016年、ユーライア・ヒープと共にZepp なんば大阪、川崎CLUB CITTA'で初の日本公演を行った[6]。
2021年6月、ロートンが死去[7]。
過去の在籍メンバー