個人情報 | |||
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フルネーム | Rudi Glöckner | ||
誕生日 | 1929年3月20日 | ||
出身地 |
ドイツ ザクセン州ライプツィヒ行政管区 | ||
死没日 | 1999年1月25日 | ||
死没地 |
ドイツ ザクセン州ライプツィヒ行政管区 | ||
国内 | |||
年 | リーグ | 役割 | |
1959-1977 | DDRオーバーリーガ | 審判員 | |
国際 | |||
年 | リーグ | 役割 | |
1961-1977 | FIFA登録 | 審判員 |
ルディ・グレックナー(Rudi Glöckner, 1929年3月20日 - 1999年1月25日)は、東ドイツ出身の元サッカー審判員である。
1952年に審判員の資格を取得、1961年にFIFAのライセンスを取得し1977年までFIFA国際審判員として活動していた[1]。1964年には東京オリンピックサッカー競技において3試合で主審を務めた。1970 FIFAワールドカップ決勝戦ではブラジル代表はヨーロッパの主審を臨んでおらず、イタリア代表は南アメリカ地域出身の主審を望んでいなかった。当時アジアやアフリカ出身のFIFAエリートレフェリーはおらず、妥協案として東ドイツ出身であった彼が審判に選ばれ、主審を務めている。また、UEFAカップ1975-76決勝でも主審を務めている。
1970 FIFAワールドカップでは2試合で審判を担当した。
1974 FIFAワールドカップでは2試合で審判を担当した。