ルドルフ・ヴィークマン Rudolf Wiegmann | |
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ヴィークマン作「テヴェレ川からバチカンを見た風景」(1834年) | |
生誕 |
1804年4月17日 神聖ローマ帝国 Nordstemmen |
死没 |
1865年4月17日 プロイセン王国 デュッセルドルフ |
ルドルフ・ヴィークマン(Heinrich Ernst Gottfried Rudolf Wiegmann、1804年4月17日 - 1865年4月17日)はドイツの画家、建築家、美術史家である。画家としては「街景画」(イタリア語で"veduta"と呼ぶ絵画のジャンル)で知られる。デュッセルドルフ美術アカデミーの教授を長く務めた。
ニーダーザクセン州のノルドシュテンメン(Nordstemmen)で軍人の息子に生まれた。ワーテルローの戦いで父親が戦死した後[1]、ハノーファーに移った。ハノーファーの高校で建築や数学を学び、建築家になったアンドレーエ(August Heinrich Andreae:1804-1846)と友人になり、アンドレーエとともにゲッティンゲン大学に進み、歴史や自然科学、考古学を学び、ギリシャ神話の研究者、ミューラー(Karl Otfried Müller)の講義に興味を持った。
ダルムシュタットで建築家のモラー(Georg Moller)のもとで、美術史の研究を行ない[2]、ローマでの研究をモラーに勧められた。1828年からドイツ考古学研究所(Deutsches Archäologisches Institut)の調査隊に加わり、ポンペイの壁画の調査をした。1832年までイタリアに留まり、ローマのドイツ人芸術家のサークルの一員であった。
ハノーファーに戻った後は、ハノーファーの街の「街景画」を描き、1835年に版画集を出版した。
1836年にデュッセルドルフに移った。ポンペイでの研究に基く著書を出版し、建築家のレオ・フォン・クレンツェと論争をした[3]。1836年からデュッセルドルフ美術アカデミーで教え始め、1839年に建築図学の教授となり、1846年からは校長のフリードリッヒ・ヴィルヘルム・シャドウの元で、学芸主任も務めた[2]。
1857年にイギリスの王立建築家協会(Royal Institute of British Architects)の準会員に選ばれた。