基本情報 | |
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国籍 | キューバ |
生年月日 | 1957年3月9日(67歳) |
選手情報 | |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督歴 | |
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国際大会 | |
代表チーム | キューバ |
五輪 | 1992年 |
この表について
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オリンピック | ||
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男子 野球 | ||
金 | 1992 | 野球 |
ルルデス・グリエル・デルガド(Lourdes Gourriel Delgado, 1957年3月9日 - )はキューバの野球選手及び野球指導者[1][2]。現役を退いてからは、ニカラグアの野球チームや、自身がかつて所属していたガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスの監督を歴任している。
1976年から1996年まで20年間選手として活躍[3]。現在でもガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスの記録として破られていない。選手としての成績は、2026安打、打率.323、247本塁打。
アマチュア選手として日本の社会人野球でも活躍。1996年に阿部企業硬式野球部(兵庫県神戸市)に入団。1998年にいすゞ自動車硬式野球部(神奈川県藤沢市)へ移籍。同年の都市対抗野球では「4番・指名打者」として1本塁打を放つなどの活躍でチームを5年振り4度目のベスト8へ導いている[4]。
ワールドポート・トーナメント後に現役を引退し、ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスの監督に就任。2007年までの7シーズン監督を務める。監督成績は381勝295敗。リーガ・ニカラグエンセ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルのブール・インディオズの監督も2シーズン務めた。
野球キューバ代表として1980年の第26回世界野球選手権と1989年のIBAFインターコンチネンタルカップでの金メダル獲得に大きく貢献し、バルセロナオリンピック(1992年)ではオマール・リナレス、アントニオ・パチェコ、オレステス・キンデラン、ビクトル・メサ、ホセ・デルガドなどらと共にスタメンとして金メダルを獲得するなど、10年以上にわたってキューバ代表チームでプレーする。
妻はオルガ・リディア。弟も元ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥス所属の野球選手ルイス・エンリケ・グリエル。バルセロナ大会でのチームメイトのホセ・デルガドは叔父にあたる。24歳の時に生まれた長男はユニエスキ・グリエル、27歳の時に生まれた次男はユリ・グリエル。更に下に息子ルルデス・グリエル・ジュニアがおり、全員が野球選手になっている[5]。