レイジー LAZY | |
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出身地 | 日本・大阪府 |
ジャンル |
ロック ハードロック ヘヴィメタル グラムロック |
活動期間 |
1973年 - 1981年 1998年 - |
レーベル |
RVC(1977年 - 1981年) エアーズ(1998年 - 1999年) Lantis(2000年 - ) |
共同作業者 |
藤田浩一 伊集院静 奥田民生 斉藤和義 JAM Project |
メンバー |
影山ヒロノブ(ボーカル) 高崎晃(ギター) 井上俊次(キーボード) 田中宏幸(ベース) 樋口宗孝(ドラムス) |
メイン・ヴォーカリストは影山ヒロノブだが、他のメンバーも何らかの曲でリードヴォーカルを担当している。
田中、樋口とも死去しているが、以降作成された楽曲に生前に録音した各々の演奏の音源が使用されることがある。
1973年、小学校からの同級生である景山・高崎・田中がバンドを結成(結成当初、景山はサイド・ギタリストでドラマー兼ヴォーカリストは後に44MAGNUMを結成する伊賀照幸)。それぞれ別の高校に進学後、景山が井上を、高崎が2年先輩(既に文化祭を始め、何度か競演を重ねる仲)の樋口を誘いバンドに加入。ディープ・パープルの楽曲の名前をとって、バンド名を「レイジー」とする。
初期は吉田拓郎や泉谷しげるのカバーを行っており、演奏技術の向上とともにハードロックのカバーを行うようになった。
1977年2月、朝日放送の『ハロー・ヤング』に出演、ディープ・パープルの「BURN」を演奏。これがかまやつひろしに認められ、デビューの誘いを受ける。 同年6月、デビューのため上京。 同年7月、RVC(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)のRCAレーベルよりデビュー。本来はハードロック志向のバンドだったにもかかわらず、制作サイドの意向によりベイ・シティ・ローラーズのようなイメージを要求されることになり(景山によると「上京してすぐに美容室に連れて行かれ、髪を切られた」とのこと)、ニックネームとお揃いのコスチュームを与えられた。かまやつはポール・ロジャースにデビュー曲を書かせるという約束をしていたのだが実現せず、実際のデビュー曲『Hey! I Love You!』は森雪之丞(作詞)、馬飼野康二(作曲)のコンビによるものとなった。以降、音楽プロダクションとしてはトライアングル・プロダクションに所属するが、プロデューサーはその後角松敏生やオメガトライブ等を手掛ける元アウト・キャストの藤田浩一と元ザ・タイガースの森本太郎が務め、ディレクターは元パープル・シャドウズの岡村右が務めるなどグループ・サウンズ系の人物が深く関わっていた。この方針はメンバーを困惑させることになった。しかし、「売れれば好きなハードロックができる」との説得を受け、これに応じることになる。後に景山は「生き残るということを考えれば(アイドル路線は)妥当なものだったと今なら思えるが、当時はショックの方が大きかった」と、高崎は「ロックは弾けてもポップは弾けないと分かったので、将来のことを考えて音楽性を広げるために真面目に練習したが、ストレスは溜まった」と語っている。
1978年、3枚目のシングル『赤頭巾ちゃん御用心』がオリコン32位にランクインし、レイジーの名を一躍有名にする。しかし、自分たちが望まない路線でのヒットはメンバーの苦悩をさらに強くするものであった。
シングルではポップなアイドル路線を歩む彼等だったが、ステージではロックナンバーも演奏する等、自分達の原点であるロックへのこだわりを見せていた。特に高崎のギタープレイは同世代のギタリストからも注目され、1979年には遠藤賢司が会長となって「レイジー男だけのファンクラブ」が結成された。デビュー曲を作詞した森雪之丞も参加している。その後、シングルでもアルバムでもハードロック調の楽曲を発表していき、4thアルバム『Rock Diamond』では全10曲中8曲をメンバー自身が作曲している。
しかし、その一方で依然としてアイドル路線の曲の発表も続いており、彼等は「やりたい音楽」と「求められる音楽」のギャップを感じ続けていた。
この頃新たに事務所の紹介でプロデューサーとなった伊集院静からの提案を受けて[1]、1980年7月から始まったツアー『DOMESTIC TOUR IN SUMMER』で「ヘヴィー・メタル宣言」が行われた。これは彼等が「本当にやりたい音楽」をやるための、宣戦布告とも呼べるものだった。ただしその代償として、事務所から樋口が解雇されかけるなどの問題も発生し、しまいには「レコーディングにスタッフが誰も来なくなった」ほどに事務所から見放された[1]。その後、シングル『感じてナイト』を経て発売されたアルバム『宇宙船地球号』はハードロック調の曲で統一され、それまでのアイドルバンドとしての彼等のイメージを根底から覆した。
本来ハードロック志向だった彼等にとっての原点回帰となったのが『宇宙船地球号』であり、これが本当のスタートになるかと思われたが、より本格的なヘヴィメタルを追求したかった高崎と田中と樋口、ハードロックより過激なヘヴィメタルという新しい音楽性に付いて行けなくなった影山と井上とのメンバー間の音楽性の違いが浮き彫りになっていった[2][3]。そのため、景山の20歳の誕生日である1981年2月18日に調布グリーンホールで行われたライブで解散宣言が行われ(その模様はライブ・アルバム『燃えつきた青春』に収録されている)、同年5月31日、正式に解散した。
高崎と樋口は、ヘヴィメタルバンド「LOUDNESS」を結成(初期は田中も参加していたが正式なデビューの前に脱退)、1981年11月に『THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜』でデビュー。1985年には『THUNDER IN THE EAST』で世界進出を果たし、ビルボード総合チャートで74位を記録した。1993年に所属事務所の契約トラブルにより樋口が一度脱退し、自身のバンド「SLY」を結成。2000年からLOUDNESSに復帰。
井上はトライアングル・プロダクション所属の3人組コーラスグループ「トロワ」とのユニット「BIG BANG」に参加するも、デビュー準備段階だった角松敏生とのユニット結成をめぐる藤田との確執により事務所を離脱[4]。LOUDNESS正式デビュー前にバンドを脱退した田中と合流し、ポップ路線のバンド「ネバーランド」を結成、1982年5月に『あした色のスニーカー』でデビュー。1990年に解散し一部メンバーをチェンジした「HUMAN NATURE」を経て、影山をボーカルに迎えた「AIRBLANCA」を結成した。AIRBLANCAの解散後、田中は音楽活動から離れ、井上は音楽プロデューサーに転身。レコード会社「スターランド」「シックスティ」「エアーズ」などのディレクターになる。井上が1993年に手掛けた『サイレントメビウス』のイメージアルバムには影山と高崎、また当時音楽活動から離れていた田中も参加している。
もっとも人気のあった景山は「影山ヒロノブ」の芸名で1981年10月に『今日を生きよう』でソロデビュー。しかし当時はロクに作詞作曲が出来ず、外部の作家による提供楽曲を中心としたリリース、ライブを続けていたが次第に人気が低迷。所属事務所側から解雇通告され、歌手活動としての年収が7万円にまで下落。建築現場のアルバイトをしながらライブを中心とした活動を続けていた[5]が、1985年に「KAGE」名義で『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌に抜擢されアニメソング歌手として第2のデビューを飾る[6]。以後多くのアニメや特撮ヒーロー作品の主題歌・挿入歌を歌うことになり、「アニソン界のプリンス」「長老」などの異名を持つ実力派として知られる存在となる。また2000年からは実力派アニメソングシンガーを集め結成されたユニット「JAM Project」のリーダーを務めている。
1997年秋、当時放送中の『ウルトラマンダイナ』の主題歌担当だった井上が、後期エンディングテーマにレイジーを起用することを決断。井上の誘いにメンバーが了承し再結成が決定。翌年3月からの使用に向けて再集結し、1998年3月21日、復活第1弾シングル『ULTRA HIGH』がエアーズから発売される。しかし再集結当初は当時音楽活動から離れていた田中の復帰が遅れ、ベースは代役で高崎が担当したため田中はシングルには未参加となっている。また発売前の3月8日に渋谷タワーレコードで開催されたイベントには寺沢功一が代役で出演した。
その後、フジテレビ『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(4月13日放送分)への出演が決定し、この収録と同時に田中が復帰。完全復活を遂げた。7月には完全復活第1弾アルバム『Happy Time』を発売。8月にはライブツアー『HAPPY TIME TOUR '98〜黒頭巾のなすがまま〜』を開催し、東京公演を収録したライブアルバム、VHSを秋に発売。1999年には、『魔装機神サイバスター』のソングアルバムに「遥かなるマザーランド」「僕らの国でも」の新規レコーディング版を提供している。
1999年11月28日の渋谷公会堂でのライブ『LAZY ROCK COMMUNICATION SHIBUYA. 〜キタ奴の勝ち〜』を最後に、井上が伊藤善之と共に立ち上げたレコード会社「ランティス」に移籍。2枚のシングルを経て、『宇宙船地球号』の続編と呼べるアルバム『宇宙船地球号II』を2002年に発売した。
再結成後はメンバー個々の活動との掛け持ちであるため、2003年以降は活動自体が途絶えがちになっていった。
その後、デビュー30周年となる2007年にも活動は一切行われなかったが、デビューのきっかけの場所となった旧ABCホールが閉鎖する事になり同ホールの最終公演者にレイジーが選ばれ、2008年6月30日に『さよなら!ABCホール〜LAZY一夜限りの復活祭〜』が開催。数年振りにメンバーが集結した。既に故人となっていた田中と肝細胞癌が発覚し療養していた樋口を除く3人がステージに立ち、サポートミュージシャンとしてベースを日野賢二、ドラムをJanne Da Arcのshujiが担当。またレイジーをリスペクトする奥田民生、斉藤和義もゲスト出演した。
同年11月30日に樋口が死去。12月24日に行われた樋口の一般本葬「Last Memorial Birthday」での弔辞では、高崎より「樋口の精神を継承し、LOUDNESSとLAZYを精進していきたい」と、レイジーの活動継続が明言された。
2009年4月22日、奥田民生、斉藤和義、JAM Projectをサポートミュージシャンに迎えたスペシャルユニット「ULTIMATE LAZY for MAZINGER」として、初期シングル『感じてナイト』のリメイク曲『感じてKnight』(アニメ『真マジンガー 衝撃! Z編』主題歌)をリリース。田中及び樋口の生前のライブ音源が素材として使用された。奥田・斎藤とのコラボのきっかけは前述の『さよなら!ABCホール〜LAZY一夜限りの復活祭〜』である。
2009年9月27日、井上が代表取締役社長を務めるランティスが設立10周年の記念で行ったライブ『10th Anniversary Live ランティス祭り』に出演。『Burn』『感じてKnight』をプレイ。2014年に開催された設立15周年記念ライブ『15th Anniversary Live ランティス祭り 2014』では7月26日の大阪公演に出演した。
2009年11月14日、樋口の一周忌イベント『樋口宗孝追悼ライブ2009 Eternal Gift of ROCK 2009 MUROCK presents Munetaka Higuchi Forever Our Hero 〜EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI〜』に参加。もともとはLOUDNESSのライブだが、影山と井上がゲスト出演しレイジーとして出演した。樋口宗孝追悼ライブは2011年を除く2013年まで開催され、レイジーは2010年、2012年にも出演している。
2011年、アニメーション映画『トワノクオン』の主題歌として『Reckless』を発売[7]。レイジーとして歌われたシングルとしてはZone of the Enders以来実に10年ぶりのシングルである。
2012年12月1日、Zepp DiverCityで行われた『Act Against AIDS 2012「アニソンAAA Vol.1」 in Zepp DiverCity』に参加。アコースティックライブであったがレイジーのみアンプを持ち込みエレキギターで演奏された。
2013年7月7日、樋口が肝細胞癌で死去したことをきっかけに立ち上げられた、癌の疾患啓発や患者支援、治療研究の推進のための支援基金『樋口宗孝がん研究基金』が企画したチャリティーライブ「Rock Beats Cancer FES vol.2」に出演。このライブには高崎がLOUDNESS、影山がJAM Projectとしても出演しており、レイジーはアンコールで登場。2016年12月開催のvol.5、2018年12月開催のvol.6にも出演した。
2014年からは田中の命日である9月1日に追悼ライブとなる『hiroboh forever〜田中宏幸を偲んで〜』をレイジーが中心となり開催。2014年は大阪、2015年は東京で開催され、2015年には田中と井上がレイジー解散後に活動していたネバーランドのメンバーが1990年の解散以来初めて全員揃い25年ぶりのステージを披露した。ライブ中「今後もレイジーやネバーランドの同窓会的なイベントとして毎年開催したい」と影山がMCで語り、翌2016年は『LAZY-NEVERLAND”re-union”LIVE』を大阪で開催。ヘヴィー・メタル宣言後の楽曲の他、アイドル時代の楽曲「愛には愛を」「地獄の天使」もレイジーとして久しぶりに演奏された。
2017年12月、デビュー40周年記念シングル『Slow and Steady』を発売。ブックレットには田中、樋口が生前と変わらずメンバーとして記載された。同じく12月、40周年記念ライブ『LAZY 40th Anniversary Special Live Slow and Steady』を大阪、東京で開催。2008年の『LAZY一夜限りの復活祭』以来9年ぶりのレイジー単独によるフルライブとなった。サポートミュージシャンはベースを山本直哉、ドラムを村石雅行が担当。東京公演にはANTHEMの柴田直人がゲスト出演した。
2019年12月、1980年にリリースされたアルバム『宇宙船地球号』がリリース40周年を迎えることを記念したライブ『LAZY"宇宙船地球号"完全再現ライヴ!!』を東京で開催。宇宙船地球号の全9曲を収録順で演奏するというレイジーとして初めてとなる再現ライブとなった。サポートミュージシャンはベースを瀧田イサム、ドラムを青山英樹が担当。本来田中のボーカル曲である「美しい予感」は影山がボーカルを務めたが、「DREAMY EXPRESS TRIP」はアルバムと同じく高崎がボーカルを務めた。スペシャルゲストでGRANRODEOが出演した。
2020年は新型コロナウイルス拡大の影響もあり活動は行われなかったが、翌2021年のデビュー44周年記念日となる7月25日にバンド初の無観客配信ライブとなる『LAZY「宇宙船地球号」完全再現配信ライブ』が行われた。このライブは高崎が中心となり立ち上げた「7 SAMURAI PROJECT」の活動の一環として開催。19年末に行われた再現ライブ同様に宇宙船地球号全9曲のほか、「7 SAMURAI PROJECT」の為に書き下ろされた楽曲『All will be Fine with You』も初披露された。
# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 収録アルバム | レーベル | 規格品番 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1 | 1977年 7月25日 |
A面 | Hey! I Love You! | This is the LAZY | RCA/RVC | RVS-1083 | 森雪之丞 | 馬飼野康二 | |
B面 | OK! | 森雪之丞 | 馬飼野康二 | ||||||
2 | 1977年 10月25日 |
A面 | カムフラージュ | RVS-1097 | 松任谷由実 | 都倉俊一 | |||
B面 | クィーンにふさわしい | ||||||||
3 | 1978年 2月5日 |
A面 | 赤頭巾ちゃん御用心 | RVS-1112 | 杉山政美 | ||||
B面 | 恋のピエロ | ||||||||
4 | 1978年 5月5日 |
A面 | 燃えろロックン・ロール・ファイアー | Dream a Dream(ボーナストラック) | RVS-1130 | ||||
B面 | 二人の宝島 | ||||||||
5 | 1978年 7月25日 |
A面 | 地獄の天使 | RVS-1141 | なかにし礼 | ||||
B面 | レイジーのテーマ | This is the LAZY | 都倉俊一 | 井上鑑 | |||||
6 | 1978年 10月25日 |
A面 | ハローハローハロー | Dream a Dream(ボーナストラック) | RVS-1153 | なかにし礼 | 都倉俊一 | ||
B面 | 青春の1ページ | Dream a Dream | |||||||
7 | 1979年 2月5日 |
A面 | 愛には愛を | Rock Diamond(ボーナストラック) | RVS-1164 | 三浦徳子 | 馬飼野康二 | ||
B面 | 失われた伝説 | 森雪之丞 | |||||||
8 | 1979年 6月5日 |
A面 | ベイビー・アイ・メイク・ア・モーション | LAZY V | RVS-1181 | 岩沢律 | 加瀬邦彦 | 渡辺茂樹 | |
B面 | 好きさ、好きさ、好きさ | Rock Diamond | 小林和子 | 浜田金吾 | 井上鑑 | ||||
9 | 1980年 1月5日 |
A面 | Midnight Boxer | LAZY V | RVS-1198 | 馬飼野康二 | |||
B面 | Bye Bye Baby | 井上鑑 | |||||||
10 | 1980年 5月21日 |
A面 | 悲しみをぶっとばせ | LAZY V(ボーナストラック) | RVS-1210 | 森雪之丞 | 佐藤準 | ||
B面 | ゴールデン・ゲート | 小林和子 | 井上鑑 | ||||||
11 | 1980年 8月21日 |
A面 | 感じてナイト | 宇宙船地球号(ボーナストラック) | RHS-2 | 伊達歩 | 水谷公生 | ||
B面 | ドリーミー エクスプレス トリップ | 宇宙船地球号 | 水谷公生 | 水谷公生 高崎晃 | |||||
12 | 1981年 4月5日 |
A面 | 星のハーティー・ロード[13] | 宇宙船地球号(ボーナストラック) | RHS-28 | 水谷公生 | |||
B面 | ガラスのハート | ||||||||
13 | 1998年 3月21日 |
01 | ULTRA HIGH | Happy Time | エアーズ | AYDM-146 | LAZY | ||
02 | Everybody Wants Love | アルバム未収録 | |||||||
14 | 1998年 12月26日 |
01 | Pray | Happy Time | AYDM-160 | 牧穂エミ | LAZY | ||
02 | My Rest Pose | ||||||||
15 | 2001年 1月24日 |
01 | Angelique〜永遠の約束〜 | アルバム未収録 | ランティス | LACM-4003 | LAZY | ||
02 | LEGEND OF THE LIGHT | 宇宙船地球号II | |||||||
16 | 2001年 5月23日 |
01 | Zone of the Enders | LACM-4015 | |||||
02 | Shadows of War! | アルバム未収録 | |||||||
17 | 2009年 4月22日 |
01 | 感じてKnight[14] | LACM-4601 | 伊達歩 影山ヒロノブ |
水谷公生 | LAZY | ||
02 | Unforgettable days | 影山ヒロノブ | |||||||
18 | 2011年 7月13日 |
01 | Reckless | LACM-4825 | |||||
02 | Blind man | ||||||||
19 | 2017年 12月6日 |
01 | Wandering Soul[15] | LACM-14700 | 森雪之丞 | 井上俊次 | |||
02 | 1977 | 高崎晃 | |||||||
03 | Happiness〜二人で過ごすX'mas〜 | 影山ヒロノブ |
すべてRCA在籍時の音源のみを収録
年 | 楽曲 | タイアップ |
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1998年 | ULTRA HIGH | TBS系特撮テレビドラマ「ウルトラマンダイナ」EDテーマ |
Pray | OVA「新世紀GPXサイバーフォーミュラSIN」OPテーマ | |
My Rest Pose | OVA「新世紀GPXサイバーフォーミュラSIN」挿入歌 | |
2001年 | Angelique〜永遠の約束〜 | OVA「アンジェリーク〜聖地より愛をこめて〜」OPテーマ |
LEGEND OF THE LIGHT | OVA「アンジェリーク〜聖地より愛をこめて〜」EDテーマ | |
Zone of the Enders | テレビ東京系テレビアニメ「Z.O.E Dolores, i」OPテーマ | |
2009年 | 感じてKnight | テレビ東京系テレビアニメ「真マジンガー 衝撃! Z編」OPテーマ |
2011年 | Reckless | アニメ映画「トワノクオン」主題歌 |
田中・樋口の没後、ライブやレコーディングに参加したサポートメンバー。
エアーズが解散した後、『Happy Time』はトライエムから再発売された。しかし2004年以降に発売されたCDでは、「ULTRA HIGH」の権利をプリズム(日本コロムビア系列の会社)が所有していることになっている。一つの楽曲の権利を二つの会社が共有することは少なく(全くないわけではない)、トライエムからプリズムへの権利の譲渡が行われたと考えるべきであろうが、円谷ミュージックもこの楽曲の権利に関わっているため原盤権の所在は不明確である。