レイチェル・エルカインド | |
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出生名 | Rachel Elkind |
生誕 | 1939年2月23日(85歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 |
ジャンル | 電子音楽、クラシック音楽 |
職業 | 音楽プロデューサー |
活動期間 | 1967年 - 1980年 |
レーベル | コロムビア・レコード |
共同作業者 | ウェンディ・カーロス |
レイチェル・エルカインド(Rachel Elkind-Tourre、1939年2月23日 - )は、アメリカ合衆国の音楽プロデューサー、作曲家。ウェンディ・カーロスのレコードのプロデューサーとして活躍した。
サンフランシスコで育つ。ジャズ歌手になるためにニューヨークに移った。コロムビア・レコードの社長、ゴダード・リーバーソンの秘書としてニューヨークのレコーディング・スタジオで働いていた頃、エルカインドはウォルター・カーロス(のちにウェンディ・カーロス)と出会う。
1967年、カーロスはそれまで10年間作り溜めていた電子音楽の作品と、友人のベンジャミン・フォークマンとニューヨークのコロムビア・プリンストン・エレクトロニック・ミュージック・センターで書いた作品を彼女に聴かせた。その中にあったバッハの「二声のインヴェンション」第8番ヘ長調の演奏をエルカインドは気に入り、モーグ・シンセサイザーによるバッハの作品集のレコードを作る構想が生まれた。「ブランデンブルク協奏曲」第3番ト長調がまず製作され、その出来栄えが彼女の予想を遥かに上回るものであったことから、エルカインドはレコードのプロデューサーを務めることとなった。コロムビア・レコードでプロデューサー、指揮者として働いていた友人のエットレ・ストラッタと契約を結び、コロムビア・マスターワークス・レコードのポール・マイヤーズの力を借りて、二人は2,500ドルの前金を元に製作にとりかかった[1][2]。ウェストサイド・マンハッタンにあるブラウンストーンを張った建物の地下にスタジオが設けられ[3]、アンペックスの8トラック・レコーダーで録音は行われた。
ベンジャミン・フォークマンの演奏も含む『スウィッチト・オン・バッハ(Switched-On Bach)』は1968年10月に発売され[4]、Billboard 200の10位、ビルボードのクラシカル・アルバム・チャートの1位を記録し、グラミー賞3部門を受賞した。エルカインドもプロデューサーとして最優秀クラシカル・アルバム賞を受賞した。
イヴ・トゥーレ(Yves Tourre)と結婚し、フランスに移住する1980年までカーロスのレコードのプロデューサーを務めた[5]。『時計じかけのオレンジ』(1971年)のサウンドトラックではベートーヴェンの「交響曲第9番」でボーカルを担当し[6]、『シャイニング』(1980年)のサウンドトラックでは、テーマ曲と「Rocky Mountains」の2曲をカーロスとともに作曲した[7]。
ジョアン・ジルベルトのレコードのプロデューサーを務めたこともある[8]。カーロスが彼に「あなたのレコードを作りたい」と申し出たことからアルバムの製作が決まり、エルカインドもニューヨークのレコーディング・スタジオに呼ばれることとなった。カーロスがエンジニアを務め、彼女がプロデュースした『三月の水』(1973年)はジルベルトの代表作の一つとなった。