レイ・ウォーレイ Ray Warleigh | |
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出生名 | Raymond Kenneth Warleigh |
生誕 | 1938年9月28日 |
出身地 | オーストラリア ニューサウスウェールズ州シドニー |
死没 | 2015年9月21日(76歳没) |
ジャンル | ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | サクソフォーン、フルート |
レイ・ウォーレイ(Ray Warleigh、1938年9月28日 - 2015年9月21日)は、イギリスを拠点とするアルトサックス奏者およびフルート奏者。
レイ・ウォーレイはオーストラリアのニューサウスウェールズ州シドニー生まれ。1960年にイギリスに移住し、すぐに需要の高いセッション・ミュージシャンとしての地位を確立した[1][2]。
アレクシス・コーナー、タビー・ヘイズ、ハンフリー・リッテルトン、テリー・スミス、ロニー・スコット、ロング・ジョン・バルドリー、ジョン・メイオール、キーフ・ハートリー、アラン・ホールズワース、ソフト・マシーン、ジョージィ・フェイム、マイク・ウェストブルック、ディック・モリシー、ケニー・ホイーラー、マイク・オールドフィールド、ニック・ドレイク、チャーリー・ワッツなど、イギリスのジャズとブルース・シーンにおける主要人物やバンドと共演し、レコーディングを行った。チャンピオン・ジャック・デュプリーなどのイギリスを訪問したアーティストにも同行した。「ガーディアン」紙のジョン・フォーダムによると、「レイ・ウォーレイは、1960年代以降に演奏したすべてのバンド等にユニークなタッチをもたらし、とりわけ、ダスティ・スプリングフィールド、マリアンヌ・フェイスフル、スコット・ウォーカー、スティーヴィー・ワンダーらとパートナーを組んで30年のキャリアを成功させました」[3]。
ウォーレイのファースト・アルバムは、1968年にスコット・ウォーカーによってプロデュースされた[4]。ウォーレイの生前最後のアルバム『Rue victor massé』(2009年)は、フリー・ジャズのドラマーであるトニー・マーシュ[3]との即興演奏であり、高い評価を得ている。『Jazz Review』誌によると、「デュオの相乗効果と共通の目標が、ここで力強く響き渡っています。ウォーレイの叙情的で華やかなサックスとフルートのラインが特徴で、クリスタルライン・オーディオ・サウンドを伴うコンサートにおいて、ミュージシャンたちは浮かんだ土台の上で筋肉を動かすことになります」[5]。
1973年には、ヴィブラフォン奏者で作曲家のディック・クラウチが率いるラテン・フュージョン・バンドのパス (Paz)に参加した。彼はバンドで8年間、ホランド・パークにあるケンジントン・パブにて毎週日曜日のレジデントを演奏し、『Kandeen Love Song』『Paz Are Back』(Spotlite Records)、『Paz at Chichester』(Magnus Records)、『Look Inside』(Paladin)といったアルバムをレコーディングした。バンドの他のメンバーは、リーダーでヴィブラフォンのディック・クラウチ、ギターのエド・スパイト、キーボードのジェフ・キャッスル、ベースのロン・マシューソン、ドラムのデイヴ・シーン、パーカッションのクリス・フレッチャーであった。
余暇において、ウォーレイは熟練したヨットマンであり、2011年に深刻な病気にかかる以前には、長年の友人であるジリアン・ロス博士と多くの航海を行ってきた。彼は2015年9月21日に癌で亡くなった[6]。
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