レイ・メンドーサ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
レイ・メンドーサ ホセ・ディアス チャト・ディアス インディオ・メンドーサ エル・ラヨ・ロホ エル・オンブレ・デル・ラヨ・ロホ ガルガンチュワ |
本名 | ホセ・ディアス・ベラスケス |
ニックネーム | メキシコの鉄人 |
身長 | 178cm |
体重 | 94kg - 100kg |
誕生日 | 1929年7月6日 |
死亡日 | 2003年4月16日(73歳没) |
出身地 |
メキシコ メキシコシティ |
トレーナー | ライ・カラスコ |
デビュー | 1954年 |
引退 | 1982年 |
レイ・メンドーサ(Ray Mendoza、本名:José Díaz Velazquez、1929年7月6日 - 2003年4月16日)は、メキシコのルチャドール(プロレスラー)。
選手時代は主に素顔で活動し、インディオの血を受け継ぐテクニコとして人気を集めた[1]。日本でのニックネームは「メキシコの鉄人」。
実子が順にビジャノ1号、2号、3号、5号、4号、義理の娘はラ・インフェルナル(3号の妻)[2]。彼らのユニット名は「ロス・ビジャノス」と呼ばれる。
1950年にプロボクサーとしてデビューするが、拳を負傷してボクシングの続行を断念[1]。ライ・カラスコのトレーニングを受け、1954年にルチャ・デビュー。当初はボクサー時代と同じチャト・ディアス(Chato Diaz)のリングネームで活動し、エル・ラヨ・ロホ(El Rayo Rojo)を名乗って覆面レスラーに変身していた時期もある。
1955年よりレイ・メンドーサ(Ray Mendoza)のリングネームを用いるようになり、1959年9月11日にジャマイカのドリー・ディクソンからNWA世界ライトヘビー級王座を奪取[3]、メキシコ人選手では初の同王座戴冠を果たした[4]。以降、1967年8月、1968年12月、1970年3月、1972年4月、1973年12月と、通算6回に渡って同王座を獲得している[3]。その間、1963年11月30日にエスパント1号を破りメキシカン・ナショナル・ライトヘビー級王座を獲得[5]、1967年3月11日にはレネ・グアハルドからNWA世界ミドル級王座を奪取した[6]。
アメリカ合衆国のロサンゼルス地区にも遠征し、1970年12月4日にジョン・トロスを破りユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座を獲得[7]。1971年1月15日にはミル・マスカラスと組んでブラック・ゴールドマン&エル・ゴリアスからNWAアメリカス・タッグ王座を奪取している[8]。同月に奪還されマスカラスとの王者チームは短命に終わったものの、その後も1972年5月5日にラウル・マタと組んでキラー・コワルスキー&キンジ渋谷、1973年5月18日にはラウル・レイエスをパートナーにゴードン・ネルソン&リッパー・コリンズをそれぞれ下し、アメリカス・タッグ王座に返り咲いた[8]。
1975年1月には長らく所属していたEMLLを離れ、フランシスコ・フローレスらとともに新団体ユニバーサル・レスリング・アソシエーション(LLI)を旗揚げ。11月には新設されたUWA世界ライトヘビー級王座の初代王者に認定されている[9]。以降、1976年8月22日にエル・アウダス、1978年10月29日にエル・ソリタリオを破って同タイトルを三度手中にしたが、1979年11月4日にグラン浜田に敗れて陥落してからは、王座に返り咲くことはなかった[9]。
1981年9月13日には「ジ・エイプマン」なるアメリカのマーシャル・アーティストとメキシコ史上初の異種格闘技戦を行い、5ラウンドKO勝ちを収めたが、古傷の左肩が悪化したため1983年に引退[1]。メキシコの独立記念日である9月16日にメキシコシティのエル・トレオにて引退式が行われた[1]。リタイア後はレフェリーやトレーナー、コミッショナー活動などを兼務していた。2003年4月16日、心臓発作のため死去[4]。73歳没。
日本には1971年3月、日本プロレスに初参戦。ザ・デストロイヤー、アブドーラ・ザ・ブッチャー、キラー・カール・コックス、ゴードン・ネルソン、アンジェロ・モスカ、ジョー・ルダックなど北米のレスラーと共に、『第13回ワールドリーグ戦』に出場した[10]。元UN王者として注目を集めたものの、軽量のためヘビー級揃いのリーグ戦では勝ち星に恵まれず[1]、これが最初で最後の来日となっている。1978年8月13日、メキシコにて藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に挑戦しているが[4][11]、新日本プロレス登場は実現しなかった。
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