レオポルト・フォン・アンハルト

レオポルト
Leopold
アンハルト=デッサウ家
アンハルト公世子レオポルト

全名
称号 アンハルト公世子
出生 (1855-07-18) 1855年7月18日
アンハルト公国デッサウ
死去 (1886-02-02) 1886年2月2日(30歳没)
フランスの旗 フランス共和国カンヌ
埋葬 ドイツの旗 ドイツ帝国
アンハルト公国デッサウ、デッサウ霊廟
1958年(改葬)
東ドイツの旗 ドイツ民主共和国、ハレ県デッサウ、ツィービッカー墓地
配偶者 エリーザベト・フォン・ヘッセン
子女 アントイネッテ
父親 フリードリヒ1世
母親 アントイネッテ
宗教 キリスト教ルーテル教会
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レオポルト・フォン・アンハルトドイツ語: Leopold von Anhalt, 1855年7月18日 - 1886年2月2日)は、ドイツ領邦アンハルト公国公世子(Erbprinz

生涯

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アンハルト公フリードリヒ1世とその妃アントイネッテ(ザクセン=アルテンブルク公子エドゥアルトの次女)の間の長男(第1子)としてデッサウに生まれる。

1884年5月24日、ハーナウフィリップスルーエ城ドイツ語版においてヘッセン公女エリーザベトと結婚し、1女を儲けた。

1886年に父に先立って死去し、デッサウの霊廟ドイツ語版に葬られた。アンハルト公家の推定相続人の地位は弟のフリードリヒに移った。