初代ディルホーン子爵レジナルド・エドワード・マニンガム=ブラー(英語: Reginald Edward Manningham-Buller, 1st Viscount Dilhorne, PC, QC、1905年8月1日 - 1980年9月7日)は、イギリスの政治家、貴族。
1905年8月1日、保守党の庶民院議員を務める第3代準男爵マーヴィン・マニンガム=ブラーとその妻ライラ(第3代チェシャム男爵チャールズ・キャヴェンディッシュの娘)の間の長男として生まれる[1]。
イートン・カレッジを経てオックスフォード大学モードリン・カレッジへ進学。インナー・テンプルでも学び、1929年に法廷弁護士資格を取得した[2]。
1943年から1950年にかけてダヴェントリー選挙区から選出されて保守党の庶民院議員を務める。1950年から1962年にかけては南ノーザンプトンシャー選挙区から選出される。1946年には勅選弁護士となる[2]。
第2次チャーチル内閣からダグラス=ヒューム内閣までの保守党政権で法務次官(在職1951年-1954年)、法務総裁(在職1954年-1962年)、大法官(在職1962年1-1964年)を務めた。大法官就任に際して連合王国貴族爵位ノーザンプトン州におけるトウスターのディルホーン男爵に叙せられ、貴族院議員に転じた。1964年にはノーザンプトン州におけるグリーンズのノートンのディルホーン子爵に叙せられた[2][3]。
1980年9月7日にスコットランド・ノイダートで死去[2]。
1930年にメアリー・リリアン・リンジー(第27代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジーの娘)と結婚。彼女との間に以下の1男3女を儲ける[2]。
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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先代 エドワード・フィッツロイ |
ダヴェントリー選挙区 選出庶民院議員 1943年 – 1950年 |
選挙区廃止 |
新設 | 南ノーザンプトンシャー選挙区 選出庶民院議員 1950年 – 1962年 |
次代 アーサー・ジョン |
司法職 | ||
先代 リン・アングード・トマス |
法務次官 1951年 – 1954年 |
次代 サー・ハリー・ハイルトン=フォスター |
先代 サー・ライオネル・ヒールド |
法務総裁 1954年 – 1962年 |
次代 サー・ジョン・ホブソン |
公職 | ||
先代 初代キルミュア子爵 |
大法官 1962年 – 1964年 |
次代 ガーディナー男爵 |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | 初代ディルホーン子爵 1964年 – 1980年 |
次代 ジョン・マニンガム=ブラー |
爵位創設 | 初代ディルホーン男爵 1962年 – 1980年 | |
イギリスの準男爵 | ||
先代 マーヴィン・マニンガム=ブラー |
第4代マニンガム=ブラー準男爵 (ディルホーンの) 1956年 – 1980年 |
次代 ジョン・マニンガム=ブラー |