レ・ヴァン・ホアック Lê Văn Hoạch 黎文劃 | |
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1948年のホアック | |
生年月日 | 1896年 |
出生地 | フランス領インドシナ、コーチシナ、カントー、フォンディエン県 |
没年月日 | 1978年(81~82歳) |
死没地 | ベトナム、ハウザン省 |
出身校 | インドシナ大学 |
現職 | 医師、政治家 |
所属政党 | 無所属 |
ベトナム国副首相 | |
内閣 | グエン・ヴァン・タム |
在任期間 | 1953年1月8日 - 1953年12月17日 |
国長 | バオ・ダイ |
コーチシナ共和国第2代首相 | |
在任期間 | 1946年12月7日 - 1947年10月8日 |
レ・ヴァン・ホアック | |
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各種表記 | |
チュ・クオック・グー: | Lê Văn Hoạch |
漢字・チュノム: | 黎文劃 |
北部発音: | レ・ヴァン・ホアック |
日本語読み: | れい ぶんかく |
レ・ヴァン・ホアック(黎 文劃、ベトナム語:Lê Văn Hoạch / 黎文劃, 1896年 - 1978年)は、ベトナムの政治家、医師。ベトナム国副首相、コーチシナ共和国第2代首相を務めた。
1896年にフランス領インドシナ、コーチシナ、カントー、フォンディエン県にて誕生する。インドシナ大学で医学の学位を取得[1]。その後フランスに留学し[1]、帰国後はサイゴンのカオダイ運動で活躍。また、1945年3月にフランス領インドシナで日本軍が明号作戦を起こした際には、カントーの警察署長を務めた。ホアックは日本軍からカントーを掌握し、フランス軍を保護した。その見返りとして、フランスはホアックを諮問評議会のカントー代表とすることを決定した。グエン・ヴァン・ティンが自殺した後、フランスはホアックを次期首相兼コーチシナ共和国指導者として支持した。ホアックは1946年12月7日に就任し、1947年10月8日まで首相を務めた。後任は副首相のグエン・ヴァン・スアンであった。ホアックはフランスの支持を受けながらも、コーチシナの独立を強く支持した。1947年12月11日、ホアックはサイゴンでベトナム国民議会を結成する。コーチシナの人々からの支持に加え、安南とトンキンでも支持を得ることができ、1947年12月23日にベトナム国民集会、ベトナム国民総決起集会が結成された。ホアックは後に君主制を支持すると宣言し、カオダイ教、ホアハオ教、ベトナムのカトリック教徒からの広範な支持があったと主張している[1]。1978年にベトナム、ハウザン省にて死去した。