レーク・タンドン Lekh Tandon | |
---|---|
生年月日 | 1929年2月13日 |
没年月日 | 2017年10月15日(88歳没) |
出生地 | イギリス領インド帝国 パンジャーブ管区シェーフープラ |
死没地 | インド マハーラーシュトラ州ムンバイ |
職業 | 映画監督、俳優 |
活動期間 | 1947年-2017年 |
レーク・タンドン(Lekh Tandon、1929年2月13日 - 2017年10月15日[1])は、インドの映画監督、俳優。映画監督としてボリウッドで活動し、2000年代には『Swades』『Rang De Basanti』『チェンナイ・エクスプレス 〜愛と勇気のヒーロー参上〜』『Chaarfutiya Chhokare』に俳優として出演した。ウルドゥー語演劇作家のヨーグラージ・タンドンは兄弟に当たる[2][3][4]。
レークの父ファキール・チャンド・タンドンはプリトヴィーラージ・カプールの友人で、共にライオールプルのカールサ高校で学んだ。レークの兄弟ヨーグラージがプリトヴィーラージ・カプールの助監督・秘書を務めており、その縁でプリトヴィーラージからボリウッドに誘われる。
1950年代から助監督としてボリウッドで活動を始め、1962年に『Professor』で監督デビューした。1966年にはヴィジャヤンティマラ、スニール・ダットを起用して『都の花嫁アムラパーリー』を製作し、アカデミー賞外国語映画賞に出品された。1968年にラジェーンドラ・クマールを主演に迎えた『Jhuk Gaya Aasman』は興行的には失敗したが、インド映画の古典的作品として位置付けられている。これ以降は『Prince』『Ek Baar Kaho』『Agar Tum Na Hote』などのヒット作を数多く製作し、1977年に監督した『Dulhan Wahi Jo Piya Man Bhaye』ではフィルムフェア賞 脚本賞を受賞している[5]。
映画の他にテレビシリーズの監督も務め、ドゥールダルシャンの『Phir Wahi Talash』『Farmaan』などを監督した。また、レークは『Dil Dariya』を通してシャー・ルク・カーンの才能を発掘したと言われている[6]。