Lhospitalet | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オクシタニー地域圏 |
県 (département) | ロット県 |
郡 (arrondissement) | カオール郡 |
小郡 (canton) | マルシュ・デュ・シュド・ケルシー小郡 |
INSEEコード | 46172 |
郵便番号 | 46170 |
市長(任期) |
ジャン=ピエール・アルメラ (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes de Castelnau-Montratier |
人口動態 | |
人口 |
448人 (2012年) |
人口密度 | 31人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯44度21分43秒 東経1度24分32秒 / 北緯44.3619444444度 東経1.40888888889度座標: 北緯44度21分43秒 東経1度24分32秒 / 北緯44.3619444444度 東経1.40888888889度 |
標高 |
平均:m 最低:217 m 最高:330m |
面積 | 14.65km2 (1 465ha) |
ロスピタレ (Lhospitalet)は、フランス、オクシタニー地域圏、ロット県のコミューン。
カオール人口密集地に属するコミューン。県道659号線が通る。近くにはランドゥ川、バルタセック川の水源がある。
11世紀、ダーム・エレーヌ(Dame-Hélène)の名が付いた病院(hôpital)があり、これが小さなコミューンの名となった。ここから数百メートル離れたところには、1790年まで、聖ヨハネ騎士団のコマンドリー、グラネジュルが残っていた。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路であるポディエンシス街道途上にある。ラバスティッド・マルナックの次がロスピタレであり、その後はラスカバヌとエスケイラック教会である。
Lhospitaletは、『小さな病院』を意味するラテン語のhospitalisが起源である[1]。
1095年代から13世紀半ばの間のいつか、エレーヌという貴婦人と彼女の従者は、谷の底にあるファンガ(fangas)という場所で馬が泥沼に足を取られ、逃れられなくなったと考えられている。エレーヌは、もしこの混乱した状態から無事に脱することができたら、貧者や巡礼者の世話に献身すると誓いを立てた。無事に足元の確かな土地に立てたため、彼女は自らの誓いを実行した。
これが、サン・ジャック・ド・ロスピタレ病院(別称ダーム・エレーヌ)の発祥である。病院はカオールのやや南側で、カオールからモワサックを経由してカステルノ・モンラティエ、ランドゥ川谷からデュルフォール・ラカプレットへ向かう道、ヴァレーヌとグラネジュル(ここには別の病院もあり、1246年にダーム・エレーヌと合併した)から通じるかつてのローマ街道が交差する地点であった。
小さな病院は村沿いにあり、村は後世拡張していった。こうした不動産の痕跡は、礼拝堂の名残である壁に埋め込まれたアーケードを除いて、何も残っていない。我々には正確な場所がわからないのである。
1566年8月15日の遺言書では、いくつかが明確に記されている。ロスピタレ病院(Maison-Dieu de L'Hospitalet)はサン・ジャック協会(la fondation de saint Jacques)と呼ばれ、土地から上がる収入で成り立っていた。そのため、小規模な病院であった。
17世紀、サン・ジャックの守護はしっかりとロスピタレの家々と結びついていた。常に『ロスピタレのコマンドリー』または、『ロスピタレという土地にあるサン・ジャック病院』と呼ばれていた。
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2007年 | 2012年 |
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218 | 241 | 262 | 272 | 299 | 373 | 441 | 448 |
source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[2]、2004年以降INSEE[3][4]