ロックフェル | |
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欧字表記 | Rockfel |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1935年 |
死没 | 1941年 |
父 | Felstead |
母 | Rockliffe |
母の父 | Santorb |
生国 | イギリス |
生産者 | Hugo Cunliffe-Owen |
生産牧場 | Weir Park Stud |
馬主 | Hugo Cunliffe-Owen |
調教師 | Ossie Bell |
競走成績 | |
生涯成績 | 13戦8勝 |
勝ち鞍 |
プリンセスエリザベスS (1938) 1000ギニー (1938) オークス (1938) チャンピオンステークス (1938) |
ロックフェル (Rockfel) はイギリスの競走馬及び繁殖牝馬である。
1938年の牝馬クラシック二冠馬であり、チャンピオンステークスでは牡馬を打ち破って優勝した。1939年に1戦した後に繁殖入りしたが、1941年秋に病気のために死亡した。
死亡する前に唯一残した産駒が、父ハイペリオンの牡駒ロックフェラである。
父フェルステッド はカーバイン系の種牡馬であり、その父父スペアミントから3代続くダービー優勝馬であった。
母Rockliffeは下級レースながら10勝をあげた馬で、母父Santorbは2代続けてアスコットゴールドカップに優勝している。
ロックフェルは母の所有者であったロンドンデリー侯爵により配合されたものであるが、受胎中に父の所有者である実業家サー・ヒューゴー・カンリフ=オーエンに3000ギニーで購買されたため彼が生産者及び所有者となった。
ロックフェルは、バークシャー州ランボーンのオーストラリア人調教師オズワルト・マーマデューク・ダルビー・ベル、通称 "Ossie" Bell のもとに送られ、競走馬としての調教を受けた。ロックフェルはたいへん賢く、独立心の強い馬で、厩舎スタッフからは"the old lady"と呼ばれていた。
競走馬引退後は繁殖牝馬となったロックフェルであったが、1941年11月に腸捻転のために死亡し、初年度産駒1頭しか産駒を残せなかった。ハイペリオン産駒のその馬はロックフェラと名付けられ、3勝をあげた後に種牡馬入り。ロックフェラは種牡馬として2000ギニー優勝馬ロッカヴォン、愛2000ギニー優勝馬Linacre(GB)、日本で種牡馬として活躍したゲイタイム及びチャイナロックなどの産駒を出した。
また、1981年には活躍を讃えて、ニューマーケットの2歳牝馬のG2レースがロックフェルステークスと名付けられた。
ロックフェルの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | エクリプス系 |
[§ 2] | ||
父 Felstead (GB) |
父の父 Spion Kop
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Spearmint | Carbine | |
Maid of the Mint | ||||
Hammerkop | Gallinule | |||
Concussion | ||||
父の母 Felkington
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Lemberg | Cyllene | ||
Galicia | ||||
Comparison | William the Third | |||
Combine | ||||
母 Rockliffe (GB) |
Santorb | Santoi | Queen's Birthday | |
Merry Wife | ||||
Countess Torby | Morganatic | |||
All Square | ||||
母の母 Sweet Rocket
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Rock Flint | Rock Sand | ||
Trigger | ||||
Bustle | Eager | |||
Sophie Arnould | ||||
母系(F-No.) | 7号族(FN:7-a) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Carbine S4×S5、St. Simon S5×M5、 Molly Morgan S5×M5 | [§ 4] | ||
出典 |