「ロックンロール・オールナイト」 | ||||||||
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キッス の シングル | ||||||||
初出アルバム『地獄への接吻』 | ||||||||
B面 | ゲッタウェイ | |||||||
リリース | ||||||||
録音 | エレクトリック・レディ・スタジオ(ニューヨーク) | |||||||
ジャンル | ||||||||
時間 | ||||||||
レーベル | カサブランカ | |||||||
プロデュース | ||||||||
チャート最高順位 | ||||||||
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キッス シングル 年表 | ||||||||
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「ロックンロール・オールナイト」 (英語: Rock and Roll All Nite) は、アメリカ合衆国のロックバンド、キッスの楽曲。1975年3月19日にリリースされた彼らの3枚目のスタジオ・アルバム『地獄への接吻』の収録曲。後にシングル・カットされ大ヒットした。
そのキャリアを通じてキッスの象徴ともいえる代表的ナンバーであり、以来コンサートのほとんどはこの曲で締めくくる。
2008年、VH1が選んだ「最も偉大なハードロック・ソング」の16位に選出[1]。
2枚目のアルバム『地獄のさけび』のリリースに合わせて行われた"Hotter Than Hell tour"でロサンゼルスに滞在中、ジーン・シモンズとポール・スタンレーによって書かれた。
ツアーが2月に終了し、カサブランカ・レコードの社長ニール・ボガートはバンドに対し、(チャートアクションで苦戦する『地獄の叫び』に続く)新曲を速やかにレコーディングするよう要請(ボガートは、グループに「ロックンロール賛歌」のようなレパートリーが必要だと考えていた)。
スレイドの「クレイジー・ママ」』にインスパイアされたこの曲は[2]、スタンレーがコーラス部分を、シモンズがヴァース部分を書き、未完成のままお蔵入りした曲"Drive Me Wild"からパーツを流用して完成させた。
バンドとボガートは、コーラス部分のレコーディングの際、スタジオに大人数のエキストラ(キッスのロードクルー、居合わせたスタジオ・ミュージシャン、ピーター・クリスの妻ほか)を連れ込み、歌と手拍子で曲を盛り上げた。ロード・クルーの何人かはジャケットのジッパーを上げ下げして効果音にした[3]。
1975年4月2日にシングル・カットされ(B面は「ゲッタウェイ」)、ビルボードシングルチャートにおいてそれまでの自己最高であった『キッシン・タイム』の79位を抜いて57位まで上がった。
その後、1975年10月に『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』からシングル・カットされたライヴ・バージョンが12位まで上昇し、キッスがヒットチャートのTop20に送り込んだ初のシングルとなった[4]。
1996年には『キッス・アンプラグド』からシングル・カットされたアコースティック・ライヴ・ヴァージョンがビルボードのメインストリーム・チャート(Hot Mainstream Rock Tracks)で13位まで上昇した[5]。
発表されてまもなく、「レット・ミー・ゴー・ロックンロール」に代わってライヴのエンディング・ナンバーとして使用されるようになり、『地獄の狂獣』,『アライヴ3』といったライヴ・アルバムにも収録されている。
2002年ソルトレークシティオリンピックの閉会式では、エース・フレーリー脱退前最後の演奏として披露された。