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Rod Harrington | |
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人物情報 | |
愛称 | "The Prince of Style" |
生誕 |
1957年12月30日(66歳) エセックス州 ボアハム, イングランド |
居住地 | エセックス州 チェルムズフォード, イングランド |
ダーツ選手情報 | |
ダーツ | Durro Rod Harrington 21 gram |
利き手 | 右利き |
入場曲 | "Sharp Dressed Man" by ZZ Top |
入会組織 (分裂騒動参照) | |
BDO | 1987–1993 |
PDC | 1993–2007 |
現世界ランク | - |
BDOメジャー - 最高成績 | |
世界選手権 | 準々決勝: 1992 |
ワールドマスター | 優勝 (1): 1991 |
PDCプレミアイベント - 最高成績 | |
世界選手権 | 準優勝: 1995 |
ワールドマッチプレー | 優勝 (2): 1998, 1999 |
ワールドグランプリ | 準優勝: 1998 |
UKオープン | ラスト96: 2003, 2005 |
他トーナメント勝利 | |
トーナメント | 年 |
他実績 |
ロッド・ハリントン(Rod_Harrington、Rodney Harrington、1957年12月30日 - )は、イングランドの元プロダーツプレイヤー。
1991年のワールド・マスターズチャンピオンであり、ワールド・マッチプレイでは1998・99年と続けて制し連覇を果たした。1995年4月 - 96年8月及び98年8月 - 00年7月にかけての、PDC世界ランキング1位のプレイヤーである。2019年にPDC殿堂入り。
ハリントンは90年代初頭にベルギーオープン, デンマークオープン, スウェーデンオープンなど多くのオープントーナメントを制しBDOで頭角を現した。
1991年のワールド・マスターズでは決勝でフィル・テイラーを破り、キャリア最初のメジャーを獲得した。翌92年、初出場のBDOワールド・チャンピオンシップではベスト8入り。1993年に他の多くのプレイヤーと共にWDC (現PDC) を設立すると、翌年行われた第1回WDCワールド・ダーツ・チャンピオンシップでは準々決勝まで進む。同年初開催のワールド・マッチプレイではベスト4まで勝ち残った。翌95年のWDCワールド・チャンピオンシップでは決勝まで進み、フィル・テイラーに2-6 (セット) で敗れた。ハリントンのワールド・マッチプレイにおける成功は特筆すべきものである。1997年開催ではテイラーに敗れるまでに準決勝まで進出した。翌98年は第1シードで決勝まで進み、ロニー・バクスターとの激戦を19-17で制し優勝を果たした。この試合でハリントンは14-17の劣勢から5レッグを連取して逆転勝利を収めるが、その過程で残り125をトリプル15, ダブル20, ダブル20であがった時、ダーツ史に残る瞬間が生まれた。特に、残り80を2本のダブル20であがるというのはほとんど前例がなく、通常はトリプル20, ダブル10であった。
ハリントンは翌年もこの大会での成功を繰り返し、前年と同じスコアで、今度はピーター・マンリーを破って連覇を達成した。フィニッシュは136チェックアウトであった。
2001年のPDCワールド・チャンピオンシップでは準決勝でフルセットの激戦の末5-6 (セット) でジョン・パートに敗れた。翌02年のワールド・チャンピオンシップのラスト16でデニス・プリーストリーに敗れた後ハリントンの調子は急激に低下し、03年にはランキングトップ16圏外に脱落した。ワールド・チャンピオンシップへの最後の出場もこの年であり、初戦でアラン・ウォリナー=リトルに敗れた。
ハリントンはこの後しばらくイギリスの主要トーナメントへの出場権獲得を目指したが、調子は回復せず、2007年にプロダーツを引退した。
タイトル | ||
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先代 Dennis Priestley Alan Warriner |
PDC World Number One 10 April 1995 – August 1996 1 August 1998 – 29 July 2000 |
次代 Phil Taylor Phil Taylor |