ロナルド・タカキ Ronald Takaki | |
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![]() ノースウェスタン大学にて、2007年。 | |
生誕 |
1939年4月12日 ハワイ州オアフ島 |
死没 |
2009年5月26日(70歳) カリフォルニア州バークレー |
死因 | 自殺 |
住居 | カリフォルニア州バークレー |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身校 | ウースター大学、カリフォルニア大学バークレー校 |
職業 | 歴史家 |
雇用者 | カリフォルニア大学バークレー校 |
著名な実績 | エスニック研究 |
肩書き | 教授 |
配偶者 | キャロル・ランキン(Carol Rankin) |
子供 | トロイ・タカキ(Troy Takaki)、トッド・タカキ(Todd Takaki)、デイナ・タカキ(Dana Takaki) |
ロナルド・トシユキ・タカキ(Ronald Toshiyuki Takaki、1939年4月12日 - 2009年5月26日)は、アメリカ合衆国の歴史家、民族学者。日系3世[1]としてハワイのオアフ島に生まれ、アジア系アメリカ人に向けられたステレオタイプ、例えば、モデル・マイノリティ(Model minority)概念などについて論じた[2]。
ロナルド・タカキはハワイ州オアフ島の低所得者層の多い地域で育った。タカキは、サトウキビのプランテーションで働いていた、日本からの移民の子孫であった[3]。タカキは7歳のときに父を亡くし、母と、中国系の養父によって育てられた[4]。少年時代のタカキは、学問よりもサーフィンに熱中しており、(踵ではなく)足の指をすべてを使う独特のスタイルから「10-toes Takaki(10の踵をもつタカキ)」と渾名された[1]。高校のとき、日系アメリカ人の教師が大学への進学を勧め、オハイオ州ウースターのウースター大学への推薦状を書いてくれた[4]。
学部生時代の経験から、タカキは、終生の業績の基礎となる問いと向き合うことになった[5]。当時キャンパスにいた、たった2人のアジア系アメリカ人の1人として、タカキは自らのエスニック・アイデンティティに対し、新たな意識をもつようになった[4]。タカキは、1961年に歴史学の学士号を得た[6]。
カリフォルニア大学バークレー校の大学院に進学したタカキは、1962年に修士号、1967年にはアメリカ史でPh.D.を取得した[2]。タカキの博士論文は、アメリカ合衆国の奴隷制度を主題とし、奴隷制度を正当化する議論に焦点を当てたものであった[7]。この論文は、後に、タカキの最初の著作『A Pro-Slavery Crusade: the Agitation to Reopen the African Slave Trade(奴隷制度支持の十字軍:アフリカ奴隷貿易再開を求める弁説)』となった[8]。
タカキは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で最初の教職に就き、同校で最初の「黒人の歴史」(Black History)の授業を担当した[2]。授業の初日、学生の1人が「この授業では『革命の戦術』について何を学べるのか?」と質問した。タカキ自身の後年の回想によると、このときタカキは、即座に、学生諸君には批判的思考と効果的文章表現の技法を習得してほしいし、それこそが革命的なことにつながるかもしれない、と応じたという[5]。
1972年にバークレーの教職に就いたタカキは、「アメリカにおける人種不平等:比較論的観点」という研究コースを担当し、やがてそれは学部のエスニック研究専攻課程と、エスニック研究専攻の博士課程プログラムへと発展した[2]。以降、30年以上にわたって、この課程の拡大に大きな貢献をし続けた。タカキはまた、バークレーにおける必修科目として多文化を学ぶ「アメリカの諸文化」の開発にも関わった[9]。この動きは、いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」に批判的な立場から厳しく非難された[10]。2004年に引退するまで、タカキはアジア系アメリカ人研究(Asian American Studies)担当の教授職を永く務めたタカキは、その見識や教育実践、著作によって、世界中の各地で、自身の考えを様々な人々と共有する機会をもった[2]。
個人的な経験から触発されたタカキは、アジア系アメリカ人やその他の人々に平等をもたらすために人生をかけて働いた。 タカキの妻(日系ではない)の家族が、タカキのことを、皆と同じ生まれながらのアメリカ市民としてではなく、「ジャップ」としてしか見ることができず、家族として受け入れることを拒んだとき、タカキの人生にやがて発展していく種子が蒔かれたのであった[5]。
2009年5月26日、タカキはカリフォルニア州バークレーで自殺した。タカキの息子トロイによると、多発性硬化症を20年近く患った末のことであった[11]。
ロナルド・タカキによる著作、タカキについての著作を OCLC/WorldCat で統計的に概観すると、50以上の著作が、3カ国語70点以上の形態で、2,000件以上の図書館所蔵件数がある[14]。