ロバート・ホーン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
モー サー・モー サー・モハメッド ロブ・ハーレム ボビー・ナイト マーリー・プライド |
本名 | ロバート・ローレンス・ホーン |
身長 | 185cm |
体重 | 129kg(全盛時) |
誕生日 | 1964年4月13日(60歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク ブルックリン |
トレーナー |
ジン・アンダーソン オレイ・アンダーソン イワン・コロフ |
デビュー | 1991年 |
ロバート・L・ホーン(Robert Lawrence Horne、1964年4月13日[1] - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク・ブルックリン出身のアフリカ系アメリカ人[1]。
1990年代のWWFにおけるメイブルとのタッグチーム、メン・オン・ナ・ミッション(Men on a Mission)のモー(Mo)としての活動で知られる。
1991年、カロライナ地区のインディー団体PWFにてデビュー。ネルソン・フレイジャーをパートナーにハーレム・ナイツ(The Harlem Knights)なる黒人タッグチームを結成し、フレイジャーはネルソン・ナイト、自身はボビー・ナイト(Bobby Knight)のリングネームを用い、ハーレム出身の兄弟という設定のもとヒールのポジションで活動した。
1993年、テネシー州メンフィスのUSWAにてジェリー・ローラー&ジェフ・ジャレットと抗争後、チーム名をメン・オン・ナ・ミッション(Men on a Mission / MOM)と改め、ベビーフェイスのユニットとしてWWFに登場。リングネームもフレイジャーはメイブル、自身はモー(Mo)と改名し、入場時のラップを担当するオスカーをマネージャーに迎え、子供のファンを中心に会場人気を集めた[2]。1994年3月29日にはジャックとピエールのザ・ケベッカーズを破り、WWF世界タッグ王座を獲得している[3]。
1995年、オスカーと決別してメイブルと共にヒールターン。同年6月25日のキング・オブ・ザ・リングで優勝したメイブルが「キング」を自称するようになると、彼から「サー」の称号を与えられたとしてサー・モー(Sir Mo)と名乗り、メイブルのプレイング・マネージャーを担当。レイザー・ラモン、ディーゼル、ジ・アンダーテイカーなど当時のWWFのトップスターとの抗争を指揮した[4]。
1996年よりメイブルとのコンビを解消し、WWFを離れてUSWAに復帰。サー・モハメッド(Sir Mohammad)と名乗ってネーション・オブ・ドミネーション(NOD)の初期メンバーとなったが[5]、NODがWWFで再編成されてもWWFに戻ることはなく、ロブ・ハーレム(Rob Harlem)などのリングネームでメンフィスのインディー団体にて活動した。2003年には、かつての盟友メイブルとも短期抗争を行っている。
引退後はノースカロライナ州のフランクリンに居住し、大型トラックのドライバーに転じている[1]。
現役選手時代はメイブルの引き立て役に徹していたものの、技は多彩でドロップ・トーホールド(スライディング・レッグシザーズ)などを見せることもあった。MOMでは、この技で倒した相手にメイブルがレッグ・ドロップを放つコンビネーション攻撃を得意としていた。