第29代クロフォード伯爵ロバート・アレグザンダー・リンジー(英語: Robert Alexander Lindsay, 29th Earl of Crawford, KT, GCVO, PC、1927年3月5日 - 2023年3月18日[1])は、イギリスの政治家、貴族。
父が爵位を継承した1940年から自身が爵位を継承する1975年まではベルニール卿(Lord Balniel)の儀礼称号で称された。
1927年3月5日に第28代クロフォード伯爵ディヴィッド・アレグザンダー・リンジーとその妻メアリー(第7代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの孫にあたるリチャード・キャヴェンディッシュ卿の娘)の間の長男として生まれる[2][3]。
イートン校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進学[3]。1945年から1949年にかけてグレナディアガーズに少尉として入隊[3]。
1955年から1974年までハートフォード選挙区から選出されて保守党の庶民院議員を務めた[3][2]。イーデン内閣下の1955年から1957年にかけては金融担当副大臣の議会担当秘書官を務めた[3][2]。マクミラン内閣下の1957年から1960年にかけては住宅・地方政府担当大臣の議会担当秘書官を務めた[3][2]。
ヒース内閣下の1970年から1972年にかけて国防副大臣、1972年から1974年にかけて外務副大臣を務めた。1972年に枢密顧問官に列する[3][2]。
1974年中はウェルウィン=ハットフィールド選挙区選出の庶民院議員だった[3][2]。
1975年1月に一代貴族ベルニール男爵に叙され、貴族院議員に列する[4]。さらに同年12月に父が死去し、クロフォード伯爵位以下5つの世襲貴族爵位を継承した[3][2]。
1992年から2002年にかけてエリザベス皇太后の宮内長官を務めた[3][2]。
2023年逝去。
1975年1月24日に以下の爵位を新規に与えられた[3][2]。
1975年12月13日の父ディヴィッド・リンジーの死により以下の爵位を継承した[3][2]。
1949年12月27日にスイス出身のルース・ベアトリス・メイヤー=ベヒトラー(Ruth Beatrice Meyer-Bechtler)と結婚。彼女との間に以下の4子を儲けた[3][2]。
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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先代 サー・デレク・ウォーカー=スミス |
ハートフォード選挙区 選出庶民院議員 1955年 – 1974年2月 |
選挙区廃止 |
新設選挙区 | ウェルウィン=ハットフィールド選挙区 選出庶民院議員 1974年2月 – 1974年10月 |
次代 ヘレン・ヘイマン |
宮廷職 | ||
先代 第16代ダルハウジー伯爵 |
エリザベス皇太后の 宮内長官 1992年 – 2002年 |
皇太后崩御により廃止 |
スコットランドの爵位 | ||
先代 ディヴィッド・リンジー |
第29代クロフォード伯爵 1975年 – 2023年 |
次代 アンソニー・リンジー |