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名前 | ||||||
ラテン文字 | Ronald Greenwood | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1921年11月11日 | |||||
出身地 | ワーズソーン | |||||
没年月日 | 2006年2月9日(78歳没) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1945-1949 |
![]() | 59 | (0) | |||
1949-1952 |
![]() | 142 | (1) | |||
1952-1955 |
![]() | 65 | (0) | |||
1955-1956 |
![]() | 42 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1961-1974 |
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1977-1982 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ロン・グリーンウッド(英語: :Ron Greenwood CBE、1921年11月11日 - 2006年2月9日)は、イングランド・ワーズソーン出身の元サッカー選手でサッカー指導者。現役時代のポジションはDF。1952年にイングランドB代表の経験がある[1]。
1940年にチェルシーFCのユースに加入した[2]。その後ブラッドフォード・パーク・アベニューAFCに売却されるが、1952年にチェルシーに買い戻された[2]。ここでは1954-55年シーズンにファーストディヴィジョン優勝を果たした[2]。34歳で現役を引退[1]、指導者の道へと進んだ。
ウェストハム・ユナイテッドFCで約13年間監督を務め、クラブ創設以来初タイトとなるFAカップをもたらした[1]。翌シーズンにはUEFAカップウィナーズカップ優勝に導いた。
1977年、ワールドカップ・アルゼンチン大会予選の最終盤、苦戦していたイングランド代表監督のドン・レヴィー監督が突如辞任[2]、その後を受けて代表監督に就任した[2]。1982年、1970年以来となるワールドカップ出場権を獲得した[1]。1982年のワールドカップ・スペイン大会では無敗の成績ながら、ケビン・キーガンが負傷で起用出来なかったことも災いし、得点力不足により、2次リーグで敗退した[3]。ワールドカップ敗退後に第一線を退いた[1]。