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名前 | ||||||
本名 | ワユディ・ビン・アブドゥル・ワヒド | |||||
ラテン文字 | Wahyudi Wahid | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | シンガポール | |||||
生年月日 | 1989年10月29日(35歳) | |||||
出身地 | シンガポール | |||||
身長 | 172cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF(CB) | |||||
ユース | ||||||
2004-2005 | タンジョン・パガー・ユナイテッドFC | |||||
2005-2008 | 国立フットボールアカデミー | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2008 | ゲイラン・ユナイテッドFC | |||||
2009-2011 | ホーム・ユナイテッド | |||||
2011 | ゲイラン・ユナイテッドFC | 1 | (0) | |||
2013-2014 | ゲイラン・インターナショナルFC | 24 | (2) | |||
2014 | ホウガン・ユナイテッドFC | 25 | (0) | |||
2015 | シンガポール・ライオンズXII | |||||
2016-2018 | ホウガン・ユナイテッドFC | 6 | (0) | |||
2018 | ケンバンガン・ユナイテッド | |||||
代表歴 | ||||||
2006 | シンガポール U-16 | |||||
2007 | シンガポール U-17 | |||||
2008 | シンガポール U-18 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ワユディ・ビン・アブドゥル・ワヒド(Wahyudi bin Abdul Wahid、1989年10月29日 - )は、シンガポールの元サッカー選手。現役時代のポジションはCB。
9歳の時にサッカーを始めたが、当初はサッカーが一番好きと云う訳ではなく、学校で吹奏楽をしていた[1]。サッカーを始めた当初はサッカー用のシューズではなく、学校で使う靴で行っていた。しかし、俊足とシュートの巧さから学校の監督に重用され、学校のサッカーチームに加入した[1]。
15歳の時にタンジョン・パガー・ユナイテッドFCのトライアルを受けて彼のサッカー人生は始まった[2]、トライアルでの活躍によって、クラブに加入する事となったが、学校での成績が芳しくなかったために父親によってサッカーから離れることとなった[2]。
サッカーの道から一旦外れた彼は、学校とクラブの監督に助けを乞って、父親の説得に成功した[2]。タンジョン・パガー・ユナイテッドFCのユースに復帰した彼は、シンガポール国立フットボールアカデミーのマイク・ウォンからスカウトされ、同アカデミーのトライアルを受けに行った[2]。国立フットボールアカデミーに加入した彼であったが、フォワードの競争は激しく、競争が少ないセンターバックとして使われる事が多くなった。更にU-16、U-17、U-18代表でも代表から断続的に落ち続け、厳しい状況であった[1]。
その後、ゲイラン・ユナイテッドFCにプライムリーグのメンバーとして兵役が始まるまで加入した。兵役が始まるとホーム・ユナイテッドのプライムリーグのメンバーになる他無く、その選択肢を取った[2]。兵役終了後は再びゲイラン・ユナイテッドFCのプライムリーグに復帰。ここで1シーズン過ごし、同チームが優勝するとホーム・ユナイテッドが2連勝したプライムリーグを3連覇する事となった[2]。2011年3月11日にはバレスティア・カルサFC戦で途中出場し、プロデビューを果たした。しかしこの試合は0-3となりチームは敗北を喫した[3]。
しかし、2011シーズンが終わると放出され、彼にはサッカー選手を続ける見込みが無くなった。それでも彼は断続的にでもサッカー選手を続けたいという想いを抱いていた[2]。その後10ヶ月に亘って仕立屋で働いたものの、興味は惹かれなかった。2013年になると、ゲイラン・インターナショナルFCの監督、カナン・ヴェダムスによって再び招集がかかり、サッカー選手に復帰する見込みが出来、彼は勿論それを承諾した[1]。この年はSリーグで一年を過ごす事となった。
ゲイラン・インターナショナルFCに復帰して一年を過ごした後、ホウガン・ユナイテッドFCに移籍[3]。同クラブでの活躍がシンガポール・ライオンズXIIの目に留まり、翌年には同チームに移籍する事となった。アフィク・ユノスが怪我で欠場するとその代役としてマドゥ・モハナと連携を取り活躍、ディフェンダーとして重要視されるようになった[4]。
国立フットボールアカデミー所属時代にU-16、U-17、U-18の各代表として出場した経験を持つものの、A代表での出場経験は無い[2]。