ワリー・モハメド・ワリー

ワリー・モハメド・ワリーダキニー[1]とも、ウルドゥー語:ولی دکنیWali Mohammed Wali1667年 - 1707年)は、インドマハーラーシュトラ州アウランガーバード出身の詩人

1687年頃、ワリーが20歳の時にグジャラートアフマダーバードに移住し、スーフィーの修行をしたとされる。

ウルドゥー文学初期の詩人で、1700年ペルシアの要素を盛り込んだウルドゥー語抒情詩であるガザル[2]デリーに持ち込み、詩作にウルドゥー語を広めた人物として名高い[3]

1707年にアフマダーバードで亡くなる。

生涯と作品には不明な点が多いが、旅行が好きだったとされ、詩のスタイルは主にの賞賛で簡単な比喩などが使われている。

脚注・参考文献

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  1. ^ ダッキニーダカニーとも。
  2. ^ ワリーとは - コトバンク、2012年11月4日閲覧。
  3. ^ 当時はペルシア語が主流で、ウルドゥー語は話し言葉に過ぎなかった。

関連文献

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  • 粟屋利江太田信宏水野善文言語別南アジア文学ガイドブック』東京外国語大学拠点南アジア研究センター、mar 2021、1-425頁。doi:10.15026/100314https://hdl.handle.net/10108/1003142022年12月13日閲覧 
  • 鈴木斌「詩人ワリーに就て」『印度學佛教學研究』第22巻第1号、日本印度学仏教学会、1973年、60-65頁、ISSN 18840051NAID 1300038292552022年9月3日閲覧 

関連項目

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