ヴァル・リュートン Val Lewton | |
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本名 | Vladimir Ivan Leventon[1] |
生年月日 | 1904年5月7日 |
没年月日 | 1951年3月14日(46歳没) |
出生地 | ロシア帝国 ヤルタ |
死没地 | アメリカ合衆国 ロサンゼルス |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 映画プロデューサー |
ジャンル | 映画 |
ヴァル・リュートン(Val Lewton、1904年5月7日 - 1951年3月14日)は、アメリカ合衆国の映画プロデューサー。『キャット・ピープル』を手がけたことで知られている[2]。
1904年5月7日、ヤルタに生まれる[3]。サイレント映画時代に活躍した女優のアラ・ナジモヴァは母方の叔母にあたる。1909年、家族とともにアメリカ合衆国へ移り住む[1]。コロンビア大学を卒業した[3]。
ジャーナリストや小説家の職を経たのち、MGMにてデヴィッド・O・セルズニックの作品に関わる[1]。1942年より、RKOにて低予算のホラー映画を製作する[1]。当時は編集技師だったマーク・ロブソンとロバート・ワイズを監督に起用した[1]。また、ジャック・ターナーと最良のパートナーシップを発揮しており、ターナー監督の『キャット・ピープル』は、オーソン・ウェルズ監督の『市民ケーン』と『偉大なるアンバーソン家の人々』の興行的な失敗で破綻しかけていたRKOの経営を救うことになる[1]。一方、ホラー以外の製作作品では、必ずしもスタジオの期待に応えられたわけではなかった[1]。
1951年3月14日、ロサンゼルスにて死去[3]。心臓発作による46歳という若さでの死だった[1]。『アパッチの太鼓』が遺作となった[4]。