ヴィクトール・ショケ Victor Chocquet | |
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ピエール=オーギュスト・ルノワールによる肖像画。 | |
生誕 |
1821年12月19日 フランス王国 リール |
死没 |
1891年4月7日(69歳没) フランス共和国 パリ |
国籍 | フランス |
職業 | 公務員 |
ヴィクトール・ショケ(Victor Chocquet, 1821年12月9日 - 1891年4月7日)は、フランスの美術収集家で、印象派の後援者。フランスの関税・間接税局の官吏として勤務する傍ら、美術展覧会を訪れては、批判にさらされる前衛的な芸術家を支援した。彼の収集したコレクションは多数に上り、死後の1899年に処分された。現在、その多くがアメリカ合衆国の美術館に収蔵されている。
ヴィクトール・ショケは、リールで絹織物工場を営む富裕な家庭に生まれた。若い時から、美術収集に熱意を燃やし、ウジェーヌ・ドラクロワ、ギュスターヴ・クールベ、オノレ・ドーミエなどの絵画のほか、陶磁器、工芸品を収集した。1875年、印象派グループによるオテル・ドゥルオでの競売会に出席し、その魅力のとりことなった[1]。ピエール=オーギュスト・ルノワールに、自分の妻と5歳で亡くなった娘マリー=ソフィーの肖像画を、写真をもとに描くように依頼した[2]。オテル・ドゥルオでの競売会は、売上げが費用にも満たず、1点当たりの落札価格はわずか100フランとなるなど、当時、印象派の評価は低かったが、ショケは、エルネスト・オシュデやジョルジュ・ド・ベリオとともに、最初期の支援者の1人となった[3]。
ショケが特に好んだのが、ポール・セザンヌの作品であり、「タンギー爺さん」の家で作品に出会ったのが最初である。印象派の1876年と1877年の展覧会には、自分の収集品から作品を貸与したり、画家たちの素晴らしさを説いて回ったりした。1877年に職場を早期退職した後も、その熱意は衰えなかった。1882年、義母の遺産が入ると、アッタンヴィルに地所を買い、セザンヌもそこで作品を制作した[4]。ショケのコレクションは、著名な収集家に劣ることはなく、新聞紙上でも、ジョルジュ・ド・ベリオやウジェーヌ・ミュレなどとともにしばしば言及された[5]。セザンヌの作品は32点所有していた[6]。
パリでは、当初、テュイルリー庭園を見下ろすリヴォリ通りのアパルトマンに住んでいた。クロード・モネは、そこから『テュイルリー庭園の眺め』(1876年)などの作品を制作した[7][8]。晩年には、モンシニー通りの邸宅に住んだ[9]。
1891年4月7日、69歳で亡くなった。