ヴィルヘルム・フォン・コベル Wilhelm von Kobell | |
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自画像 | |
生誕 |
1766年4月6日 神聖ローマ帝国 プファルツ選帝侯領、マンハイム |
死没 |
1853年7月15日 バイエルン王国、ミュンヘン |
ヴィルヘルム・フォン・コベル(Wilhelm von Kobell、1766年4月6日 - 1853年7月15日)は、ドイツの画家、版画家である。風景画や戦場の場面を描いた。
マンハイムで生まれた。父親のフェルディナント・コベル(Ferdinand Kobell, 1740年 - 1799年)、叔父のフランツ・コベル(Franz Kobell, 1749年 - 1822年)も画家であり、コベルの一族からは、何代かにわたって画家が生まれた。父親や伯父から絵を学んだ後、1780年からマンハイムの美術学校で学び、1886年から父親の工房で働いた、
マンハイムに宮廷を置いていたプファルツ選帝侯のカール・テオドールがバイエルン選帝侯を継承し、宮廷をミュンヘンに移した後もマンハイムに留まっていたが、1789年に父親とミュンヘンを訪れ、1793年にヴィルヘルムはミュンヘンに移った。フランス革命戦争が始まり、1795年にマンハイムはフランスの支配をうけることになった。これらの時代の経験から、戦場の場面がコベルの絵画からの題材の一つとなった。
バイエルンでは叔父フランツと王室の美術品の管理の仕事もした。1814年からヨハン・ゲオルク・ディリス (Johann Georg von Dillis) の後任として、ミュンヘン美術院の風景画の教授となり60歳で引退するまで教授を続けた。1817年に貴族に叙せられた。