ヴェンセスラウ・ボーイェル(Wenceslas Bojer、Václav または Wenzel Bojer、1795年9月23日 - 1856年6月4日)は、ボヘミア生まれの博物学者、植物学者である。
ジェサニツェ(Řesanice)の庭師の息子に生まれた。ボーイェルも最初、庭師として働くが、植物学者のシュテルンベルク(Kaspar Maria von Sternberg)の指導を受け、博物学者のジーバー(Franz Sieber)の注意を引き、ウィーン帝立博物館に雇われた。1821年からジーバー、ヒルゼンベルク(Carl Hilsenberg)とともに、モーリシャスへ植物調査を行い、1822年には総督、ファーカー(Robert Townsend Farquhar)によってマダガスカルに派遣された。マダガスカルの西岸を旅し、アンタナナリボ(Antananarivo)に到った。1824年にアフリカで通訳として働き、何度かアフリカの海岸地域を探検し、植物や鉱物の大きなコレクションを作り上げた。モーリシャスに初めて設立された科学アカデミー(Société royale des Arts et des Sciences de l'île Maurice)の会員となった。1842年に博物館(Museum Desjardins)の学芸員になり、1848年からモーリシャスのパンプムス植物園の園長を務めた。1849年にドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ (Leopoldina) の会員に選ばれた。
1850年代にモーリシャスのサトウキビの2/3に被害を与えたサトウキビ穿孔虫(Diatraea saccharalis:メイガ科)についての論文が最後の論文となり、ポートルイスで没した。
トカゲ科の種、Gongylomorphus bojeriiやEuphorbia bojeri Hook(ハナキリン Euphorbia miliiのシノニム)などマダガスカル原産の動植物の学名に名づけられた。