ヴォイチェフ・ヒナイス Vojtěch Hynais | |
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![]() Jan Vilímekによる肖像画 | |
生誕 |
1854年12月14日![]() |
死没 |
1925年8月22日![]() |
ヴォイチェフ・ヒナイス(Vojtěch Antonín Hynais、1854年12月14日 - 1925年8月22日)はチェコの画家である。
ウィーンでチェコ出身の仕立て屋の息子に生まれた。チェコ出身に誇りを持つ父親からチェコ語の教育を受けた。貧しかったので、子供たちに絵を教えて学資を稼いだ[1]1870年、16歳でウィーン美術アカデミーに入学し、カール・ビュルツィンガー(Carl Wurzinger)、アウグスト・アイゼンメンガーに学んだ。アカデミーの「イタリア奨学金」を獲得して1875年から1876年までローマに滞在し、ローマではルネサンスの巨匠の作品を模写して修行した[2]。1878年にパリに移り、パリ国立高等美術学校で、ジャン=レオン・ジェロームらに学んだ[3]。フランスで結婚した後、家族を養うために商業美術の仕事やセーブルの陶器のデザインもした[4]。パリで活動する間もチェコの芸術家やパトロンと付き合った、1886年にプラハに移った。
プラハでは、ヒナイスは当初、プラハの国民劇場などの公共施設の装飾画家として有名になり、ウィーンのバーグシアターの天井画も描いた。
1894年に有力な建築家ヨセフ・ハラーフカ(Josef Hlávka)の推薦でプラハ芸術アカデミーの教授になり、その仕事を亡くなるまで続けた。
1925年に70歳で死去した。作品の多くはプラハ国立美術館に収蔵されている。