三国志 Three Kingdoms | |
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別名 |
三国志TK 新三国 |
ジャンル | 歴史ドラマ |
原作 | 羅貫中 |
構成 | 朱蘇進 |
脚本 | 朱蘇進、周志方、郝中夙、韓増光 |
監督 | 高希希 |
演出 | 李木戈 |
出演者 |
陳建斌 于和偉 陸 毅 ピーター・ホー 倪大紅 于栄光 張 博 聶 遠 陳 好 林心如 ビクター・ホァン 于 浜 |
ナレーター | 周志強 |
音楽 | 趙季平 |
オープニング |
「還我一個太平天下」 歌:廖昌永 |
エンディング |
「英雄往来天地間」 歌:譚 晶 「天地莽蒼蒼」 歌:湯 燦 |
国・地域 |
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言語 | 中国語(普通話) |
時代設定 | 三国時代 (中国) |
話数 | 全95話 |
各話の長さ | 約45分 |
製作 | |
チーフ・プロデューサー | 杨暁明、李 姝、李 明 |
撮影地 | |
撮影監督 | 朱 伸 |
編集 |
林紅光(編集指導) 林紅軍、王 斌 |
制作 | 小馬奔騰 |
製作 |
中国伝媒大学テレビ制作センター 東方恒和 |
配給 |
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製作費 | 1.6億人民元(25億日本円) |
制作形式 | |
映像形式 | HDTV |
音声形式 | 5.1chサラウンド |
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放送チャンネル | 江蘇衛星テレビ 安徽衛星テレビ 天津衛星テレビ 重慶衛星テレビ |
映像形式 | 576i 1080i(江蘇のみ) |
放送期間 | 2010年5月2日 - 6月18日 |
放送時間 | 毎日 19:30より(UTC+8) ※2話連続、江蘇以外は数分遅れ |
放送枠 | 幸福劇場(江蘇) 第一劇場(安徽) 快楽生活劇場(天津) 霧都劇場(重慶) |
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映像形式 | 480i、1080i |
音声形式 | 中国語音声(ステレオ) |
放送期間 | 2011年4月18日 - 2012年3月19日 |
放送時間 | 月曜 21:00 - 23:00 ※2話連続、放送休止有り |
番組公式ウェブサイト (2013年10月24日アーカイブ分) | |
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映像形式 | 1080i |
音声形式 | 日本語吹替音声 |
放送期間 | 2012年4月2日 - 8月13日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜 17:00 - 17:55 |
番組情報ページ (2013年7月5日アーカイブ分) | |
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映像形式 | 480i、1080i |
音声形式 | 日本語・中国語2か国語音声 |
放送期間 | 2013年5月20日 - 10月22日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜 13:00 - 15:00 ※2話連続、放送休止有り |
番組公式ウェブサイト (2013年4月24日アーカイブ分) | |
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映像形式 | 480i |
音声形式 | 日本語・中国語2か国語音声 (デュアルモノラル) |
放送期間 | 2014年4月7日 - 2015年11月17日 |
放送時間 | 月曜 7:00 - 7:55 (2014年4月7日 - 9月29日) 月曜 19:00 - 20:00 (2014年10月6日 - 12月15日) 月曜・火曜 19:00 - 20:00 (2014年12月22日 - 2015年11月17日) ※放送変更有り |
放送枠 | 歴史ドラマアワー |
番組情報ページ (2014年4月7日アーカイブ分) |
『三国志 Three Kingdoms』(さんごくし スリー・キングダムズ、簡体字中国語: 三国、英語: Three Kingdoms)は、2010年の中華人民共和国のテレビドラマ。全95話。総制作費は日本円で25億円。撮影期間は2008年9月から2009年7月まで。登場人物は300人、エキストラ数は延べ15万人。
正統派のオリジナルである1994年の『三国志演義』のリメイク的な作品である。日本での放送・ソフト化では英題付きの「三国志 Three Kingdoms」もしくは略して「スリキン」と呼ばれることが多い。公式略称は「三国志TK」となり、また中国ではオリジナルに対し「新三国」とも呼ばれる。
本作品は中国において、サラウンド形式で音声を制作する最初のテレビドラマである。
小説『三国志演義』をベースに、現代的な新解釈を盛り込んだ新時代の『三国志』である。
後漢末期、相国として幼い皇帝を操り、暴政を敷く董卓に不満を募らせる侍従。司徒の王允は、若き曹操に七星の剣を託し暗殺を企てるも、あえなく失敗し、曹操は逃亡するところから物語はスタートする。やがて反董卓勢力が結集され、そこには曹操・劉備・孫堅、そして幼き孫権と後の三国時代の英傑が集う。反董卓連合軍はやがて瓦解するも、王允は呂布を計略に嵌め、董卓は惨殺される。しかし王允も漢室の復興はできず、董卓臣下の反撃により死亡。朝廷の権威は完全に失墜し、群雄が乱立する状態となる。曹操は中原制覇を目論み、徐州を攻撃。そこに徐州の援軍として駆けつけたのは劉備であった。曹操を追い払った劉備は徐州を与えられるが、曹操、さらには董卓暗殺後に軍師陳宮を得て放浪する呂布と三つ巴の争いとなる。そんな中、曹操は窮地の皇帝を救うことで皇帝を手中に収める。結局、劉備は曹操と結び、呂布を倒す。呂布・陳宮は処刑される。
曹操と結んだ劉備は皇帝に謁見し、皇帝の真意は曹操の排除にあることを知る。皇帝から血でしたためられた詔を受けた劉備は、曹操を倒すことを決意し、これと争う。しかし曹操の優れた軍略の前に敗北し、義兄弟関羽・張飛とも離散する。関羽は劉備の家族を守るために曹操の配下に入り、敵将を多く討ち取る。やがて劉備の生存を知った関羽は曹操の同意を得、劉備の元へ向かう。この頃、中原の最大勢力であった袁紹は、曹操を倒すために70万の大軍をもって曹操を攻める。初めは劣勢であった曹操は、優れた軍略と粘り強さで立場を逆転させ、ついに袁紹を破り、中原の覇者となる。劉備は袁紹を助けるも敗れ、放浪し同族劉表の治める荊州にたどり着く。そこで軍師徐庶を得て、その軍略をもって曹操軍を打ち破るも、徐庶は曹操の元に去ることとなる。去り際に、諸葛亮の存在を知らせ、これを得ることを薦める。
劉備は三顧の礼をもって、軍師諸葛亮を得、天下三分の計を説かれる。この7年前、江東では孫策が死に、若き孫権が後を継ぐ。諸葛亮の智謀をもって曹操を一度は退くも、圧倒的な力の前に劉備は江南に逃れることとなる。曹操軍に追われ絶体絶命の危機に陥るも、趙雲・張飛の活躍により無事に逃れることができる。諸葛亮は曹操に対抗するために孫権と劉備の連盟が必要であると考え、その締結に奔走する。孫劉連盟の締結後、呉の周瑜は諸葛亮の才覚を恐れ、これを殺害しようと企てるも、ことごとく諸葛亮が切り抜ける。そして前半のクライマックスである、赤壁の戦いに突入する。
赤壁で敗れた曹操は、関羽に捕縛されかけるが、関羽は過去の主従の恩からこれを逃がす。これに激怒した諸葛亮は軍法に則り関羽を死罪にしようとするが、張飛は諸葛亮に反発する。劉備は「軍においては親も子もない」と張飛を怒鳴りつけ、義兄弟として責任を取るため共に刑死しようとするが魯粛の取りなしもあって事なきを得る。本拠に帰った曹操は家臣の前で赤壁の敗北について語りかけるが、それを聴かずに眠り呆ける司馬懿を気に留める。司馬懿の才覚を高く評価した曹操はこれを取り立て、才能豊かな息子曹沖につけることとするが、曹沖は毒蛇に噛まれて急死する。荊州では、赤壁で勝利した孫権と劉備の争いが表面化する。荊州に残った曹仁は周瑜に攻められ一度は敗れるも、逆に計略にはめ、周瑜を毒矢で射る。その争いの間隙をついて、諸葛亮は荊州を奪い、これを他の本拠を得るまで呉から借り受けるという形で利用すると約する。劉備はそのまま南へ版図を広げ、桂陽、長沙を奪い、黄忠・魏延を得る。周瑜は劉備を捕縛するために、孫権の妹を劉備に嫁がせる名目で、江東に劉備を誘き寄せる計略をめぐらす。劉備はこの縁談を受け、江東に赴く。周瑜の計略により江東を脱することができない劉備を諸葛亮の策が救い、劉備は荊州に戻る。劉備を案ずる関羽と張飛は静観を主張する諸葛亮に居ても立っても居られなくなり独断行動を取ってしまう。腹を立てて下野しようとする諸葛亮だったが、関羽の傲慢さと張飛の短気を戒めるための芝居であり、それに気づいた彼らは再び諸葛亮の意見を受け入れるようになった。策が失敗したことに怒る周瑜は、道を借りて鯱を討つの計を用いて荊州奪取を図るが、全て諸葛亮に見破られ惨敗し、失意のうちに死ぬ。
曹操に父の馬騰を殺された馬超は、西涼軍を率いて潼関に攻め入る。曹操は自ら兵を率いて出陣するが、緒戦は大敗。その後は一進一退の攻防が繰り広げられる。馬超の陣営では戦局をめぐって議論が行われたが、馬騰の義兄である西涼の太守・韓遂が和平を提案。曹操と長い会談をしたことで、馬超の心に韓遂への猜疑心が生まれる。その隙を狙って、曹操は西涼軍を破り、西涼を奪い取る。敗れた馬超は張魯に身を寄せる。張魯は馬超に3万の兵を与え、劉備を攻めさせる。馬超の凄まじい戦いぶりに手を焼いていた孔明は策を巡らせ、張魯と馬超を仲違いさせ、馬超を劉備の配下とすることに成功する。龐統を失いながらも、法正や黄権ら益州の将を仲間に加えた劉備は、劉璋を降伏させて成都を本拠地に大事を成そうと動き出す。一方、曹操は丞相から魏王に就くことを重臣達に勧められるが、荀彧はあくまで漢王朝を助ける立場を貫きこれに反対する。しかし聞き入れられず自刃。権力を増す曹操に耐えかねた反魏軍の朝臣達も処断されてしまう。曹操は曹丕と共に荀彧が立てた数々の功績に思いを馳せ、冥福を祈る。 荊州奪回を目論む孫権は、孔明の実兄・諸葛瑾一族の命と引き換えに荊州の返還を要求。周瑜の後任で大都督に就いていた魯粛は病をおして関羽を説得。自らの命を賭けて同盟を維持しようとする魯粛の勇気に心を打たれた関羽は荊州南郡の返還を了承する。しかし魯粛の死後、関羽が孫権の嫡子との姻戚を傲慢な態度で断ったことに怒り、関羽が曹仁らの守る樊城を攻めている隙に後を引き継いだ呂蒙と陸遜を送り込み、荊州各地を占領する。関羽の部下たちが全員討ち死にすると、関羽は毅然として自ら命を絶つ。孫権から関羽の首を受け取った曹操は手厚く葬るが、その時曹操も不治の病に冒されていた。曹操は曹丕を後継者に任命し、志半ばで死去する。
曹植との後継者争いに勝利した曹丕を皇帝にするべく、司馬懿は献帝に禅譲を迫る。献帝は泣く泣く詔書を記して去っていくが、自分の代で漢を滅ぼした事に責任を感じ、船に穴を開けて曹皇后と共に自害する。関羽を失った悲しみから気力を失った劉備は曹丕が漢を滅ぼして魏を建国したと知り、喪に服す。孔明を含む配下達は劉備に皇帝になるように勧めるが、劉備は怒りを露わにする。しかし病を装った孔明の説得を受け入れ、蜀を建国。自ら初代皇帝となる。まず劉備は関羽の仇を討つために孫権との戦いを掲げるが、趙雲と孔明に止められる。鬱憤のたまった張飛は劉備に直談判に行き思いの丈をぶつけるが、「2度と兵士を殴ってはいけない」と諭される。しかし張飛は聞き入れるどころかさらに厳しい罰を与え、我慢できなくなった部下に殺される。その部下が孫権のもとに身を寄せたため、劉備は70万の大軍を率いてついに攻撃を開始する。呉を建国して呉王となった孫権は陸遜を大都督に任命。陸遜は隙をついて劉備軍を火攻めにして大勝する。命からがら逃げ延びた劉備は白帝城に退き、不本意ながらも呉との和睦を受け入れる。さらに臨終の際、諸葛亮を呼び寄せてこれまでの忠節に対する感謝と即位の際に忠告を聞かなかった謝罪を述べる。さらに「馬謖は兵法に通じているが大言壮語が過ぎるので重用してはならない」と忠告した後、「息子の劉禅が君主の器に値するならよく補佐してほしい。しかし仕えるに値しない場合は諸葛亮自らが皇帝となって国を率いるように」と言い残す。劉備の言葉に感動した諸葛亮は、劉禅の補佐を劉備に誓い、そのやりとりを聞いていた劉禅は劉備の遺命に従い、諸葛亮に拝礼の上、父親のように尊敬するようになる。
劉備の死後、曹操の跡を継いで魏を治める曹丕は、混乱に乗じて蜀を討つことを考える。司馬懿は南蛮の孟獲や孫呉の協力を取り付けて六つの軍を動かして蜀を討つこと、自身が大都督となって指揮をとる提案をするが、司馬一族の野心を警戒した曹丕は目の届くところに司馬懿を置くべきと考え策を採用するにとどめる。 劉禅をはじめとした蜀の文武百官は狼狽えるが、諸葛亮が病気を理由に朝議に出られないと聞き、馬謖の案内で彼の実家に赴き対策を請う。諸葛亮の対策を聞いた劉禅は安心したが、唯一の懸念は呉との再同盟。馬謖が命懸けの交渉を行ったことで孫権に認められ、再同盟が成立する。 同じ頃、寿命を焦った曹丕は司馬懿の諌めを無視して呉に大軍を率いて責めるも大敗。心労から病が悪化し、息子・曹叡に跡を任せ病没する。軍権を手に入れた司馬懿だったが、曹真、曹休をはじめとした魏の重臣のほとんどが司馬一族をよく思わず、辺境の土地の守備を任せる。さらに曹叡に無断で募兵を行ったことに加え、諸葛亮の策により司馬懿らは平民に落とされた。 好機と見た諸葛亮は劉禅に出師表を上奏し、漢王朝再興のために北伐を敢行。最初は魏の若武者・姜維を傘下に加えるなど順調に進んでいたが、街亭の守りを志願した馬謖が自分の慢心が下で采配を誤り、復権した司馬懿に突かれて大敗。軍令違反を犯した馬謖は処刑される。 その後も老いと病に向き合いつつ北伐を続ける諸葛亮。司馬懿も曹真と兵権を巡る暗闘を展開しつつも一丸となって蜀を退けるが、度重なる失態で功を焦った曹真の死によって大都督に就任。諸葛亮と司馬懿の戦いも最終局面を迎える
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