みた よしこ 三田 佳子 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
『キネマ旬報』1962年9月下旬号より | |||||||||||||||
本名 |
高橋 嘉子 石黒 嘉子(旧姓) | ||||||||||||||
生年月日 | 1941年10月8日(83歳) | ||||||||||||||
出生地 | 日本・大阪府大阪市 | ||||||||||||||
血液型 | O型 | ||||||||||||||
職業 | 女優 | ||||||||||||||
活動期間 | 1960年 - | ||||||||||||||
活動内容 |
1960年:デビュー 1965年:『太閤記』 1973年:『国盗り物語』 1984年:『Wの悲劇』 1986年:『いのち』 1987年:『別れぬ理由』 1989年:NHK紅白歌合戦紅組司会 1992年:『遠き落日』 1994年:『花の乱』 2014年:旭日小綬章 | ||||||||||||||
配偶者 | 高橋康夫(元NHKエグゼクティブ・プロデューサー) | ||||||||||||||
著名な家族 |
森宮隆(長男) 高橋祐也(次男) | ||||||||||||||
事務所 | プロダクション尾木 | ||||||||||||||
公式サイト | オフィシャルサイト | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
映画 『沈黙』 『恋の浮島』(1982年) 『利休』 『Wの悲劇』 『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』 『おいしい結婚』 『遠き落日』 テレビドラマ 『太閤記』 『いのち』 『外科医・有森冴子』シリーズ 『花の乱』 『花燃ゆ』 | |||||||||||||||
| |||||||||||||||
備考 | |||||||||||||||
旭日小綬章(2014年) NHK紅白歌合戦紅組司会(1989年・1990年) 大河ドラマ主演俳優(複数回主演は女優史上初で唯一) |
三田 佳子(みた よしこ、1941年10月8日[1] - )は、日本の女優。本名:高橋 嘉子(たかはし よしこ)、旧姓:石黒(いしぐろ)。女子美術大学付属中学校・高等学校卒業。所属事務所は三田佳子事務所(生島企画室と業務提携)を経て、2017年2月24日付けでプロダクション尾木に移籍。
芸名の三田は、早稲田の高田(馬場)、明治の神田と共に3案示され、慶応の三田を選択。慶応大学野球部のファンだったため[2]。 夫は元NHKプロデューサーの高橋康夫。長男は森宮隆、次男は高橋祐也[3]。
代表作は映画『極道の妻たち三代目姐』[4]、ドラマは大河ドラマ『いのち』『花の乱』など。大河ドラマで複数回主演した唯一の女優となっている。
大阪府大阪市天王寺区生まれ[5][6]。父は会社員[5]。長女ですぐ下の弟は幼い頃病死。末弟の二人兄弟[5]。生後半年で東京府(現在の東京都)世田谷区に移り[7][8]、3歳の年に一家で山梨県へ疎開[5]、終戦後は下北沢を経て中野区で育つ。小学二年時に両親が離婚[6]。母親は幼い弟を父に預け[6]、嘉子を引き取って母子二人で東京で暮らす[6]。兵庫県宝塚市立宝塚第一小学校[5]、東京都大田区立池雪小学校[5]、東京都中野区立桃園第三小学校[5][9]、東京女子美術大学付属中学校~高等学校卒業[5]。
中学3年のとき、児童劇団「ちどり」に入り[5][8]、中学・高校時代から多数のテレビ・ラジオに出演[5]。週刊誌の表紙等を飾るようになり[9]、高校在学中から映画会社数社にスカウトされるが断り続け、高校を卒業した1960年春に東映ニューフェイスではなく[9]、第二東映へ入社した[2]。
同年、『殺られてたまるか』で18歳で女優デビュー[6]。この映画は東映が売り出しを決めていた波多伸二との共演予定であったが、波多がロケ地の本田技研工業埼玉製作所内で22歳で事故死し[6][9][10]、三田はロケバスの窓から波多が飛ぶ影を見た[6][9][10]。事故から15日後に会社は新しい相手役に梅宮辰夫を抜擢[6][10]。気持ちの整理もつかず、大人社会の非情さに驚愕し、東京新聞に心情を吐露した[10]。当初から主役級で起用され、佐久間良子と並ぶ東映の看板女優としての扱いを受ける[5]。
Vシネマの発案などで知られる東映プロデューサーの吉田達は[6]、三田を迎えに三田の小さな家に行ったとき、「この貧しい母子のために尽くしてやりたい」と"三田派"の急先鋒になった[6]。東映東京撮影所(以下、東映東京)に、いつしか"三田派"と"佐久間"が生まれた[6]。東映入社当時は第二東映による粗製乱造時代で[10][11]、一年で14本映画を撮った年もあり[9][10]、毎日撮影が早朝から翌日の明け方まで続き、家に帰れないため、東映東京の近くの旅館に寝泊まりしていたという[10]。東映は段々、荒々しい男性路線に傾斜し始め[9][10]、女優も大人の女としての色気を要求された[9][10]。東宝や松竹に比べ、女性映画の数は少なく、たまにしか製作されなかった女性文芸路線では[10]、1964年公開の『廓育ち』で社会派演技を見事にこなす。
1961年に文芸プロダクションにんじんくらぶに参加[12]。
1967年に東映を退社しフリーとなった[5][13]。1967年の松竹『夜のひとで』で、無断でヌードのすげ替えシーンを入れられ[9]、抗議すると映画界を干されかける[9]。以降はテレビと舞台を中心に活動した[2]。1973年にはNHK大河ドラマ黄金期の『国盗り物語』に出演した[14]。1974年、ドラマ出演で知り合ったNHK大阪の制作部副部長・高橋康夫と結婚[5]。
1984年、『Wの悲劇』では、女優が女優の役をやるという難しい役柄だったが[9]、女の意地を見せる見事な演技が高く評価され[9]、各映画賞を受賞する[9]。1986年、三田の演技力を以前から評価していた橋田壽賀子脚本作品の『いのち』に主演。平均29.3%の高視聴率を獲得し[9]、"国民的女優"の地位を盤石にした[9]。
1989年と1990年に、『NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1)の紅組司会を2年連続で務めた。
高額納税者番付において俳優・タレント部門で1991年から1994年まで4年連続で首位となり宝島社の「日本の女優100人」に掲載された[1]。強い個性が無いかわり、「多くのファンに感情を移入させるタイプの女優」と評された[1]。
1996年に子宮体癌が発覚し緊急入院、手術と5度の抗がん剤治療が功を奏して退院した。
2003年に、デビュー時から親交のあった水野晴郎が復帰の手助けとして、自身の映画『シベリア超特急3』の主演に起用、その後は映画『海猫』、テレビドラマ『いま、会いにゆきます』など仕事を再開し、2007年9月16日放送の『ひまわり〜夏目雅子27年の生涯と母の愛〜』で、仲間由紀恵とダブル主演する。
2007年11月15日、次男が覚醒剤所持の現行犯で3回目の逮捕となる。翌日の会見で「すべては私たち夫婦の教育の失敗」「引退も考えた」「今も月70万円の小遣いを渡している」「翌月の舞台(『エドの舞踏会』)については降板しない」などと話した[15][16]。
TBS系
他、多数
発売日 | 規格 | 規格品番 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ビクターレコード | |||||||
1965年 | EP | SV-164 | A | 白い橋[注釈 1] | 佐伯孝夫 | 吉田正 | |
B | あなたとなりたい幸せに | ||||||
クラウンレコード | |||||||
1968年 | EP | CW-848 | A | 不信のバラード[注釈 2] | 八反ふじを | 米山正夫 | 小杉仁三 |
B | 桜の精の物語 | ||||||
1969年7月 | EP | CW-961 | A | 幸せですのよあたくし[注釈 3] | 渡辺岳夫 | ||
B | 忘却の日記 | ||||||
1970年 | EP | CW-1025 | A | 白い大理石[注釈 4] | 八反ふじを | 米山正夫 | 大柿隆 |
B | 幸福よここまでおいで | ||||||
東宝レコード | |||||||
1971年 | EP | AS-1114 | A | 琵琶湖慕情[注釈 5] | 花登筺 | 小川寛興 | |
B | 湖の女(ひと) | ||||||
キングレコード | |||||||
1976年 | EP | GK-51 | A | 女坂 | 横井弘 | 小川寛興 | |
B | 別れ雨 | ||||||
東芝EMI | |||||||
1981年 | EP | TP-17225 | A | おあねぇさん[注釈 6] | 花登筺 | 小川寛興 | |
B | 北陸の女 | 佐藤準 | |||||
ミノルフォンレコード | |||||||
1982年 | EP | KA-2073 | A | 街角焦がれて[注釈 7] | 大津あきら | 鈴木キサブロー | 川村栄二 |
B | 街角焦がれて(インストゥルメンタル) | - | |||||
ビクターレコード | |||||||
1985年 | EP | SV-9048 | A | お人好し | 荒木とよひさ | 三木たかし | 佐藤準 |
B | 洒落(シャレ)た関係 |
発売日 | 規格 | 規格品番 | アルバム |
---|---|---|---|
キングレコード | |||
1976年 | LP | SKA-156 | 女坂 円地文子原作・小説「女坂」より
※ 歌と朗読:三田佳子 ※ 全作詞:横井弘、作曲・編曲:小川寛興 Side:A
Side:B
|
2001年11月7日 | CD |