人物情報 | |
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生誕 |
1921年1月16日 日本統治下台湾 |
死没 |
2012年8月3日 (91歳没) 日本 京都府京都市 |
出身校 | 京都大学 |
学問 | |
研究分野 | 哲学 |
研究機関 | 愛知第二師範学校、京都大学人文科学研究所 |
上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - 2012年8月3日[1])は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。従三位。紫綬褒章受章者、文化功労者、勲二等授旭日重光章受章。
1921年、台湾で生まれた。台北高等学校[2]で学び、高校時代から哲学や宗教に関心を持った。京都帝国大学文学部哲学科に進んだが、太平洋戦争の戦局悪化により徴兵され、1943年に卒業。その後は海軍に入隊した。人間魚雷回天に搭乗するも死を免れた。
戦後は1948年に和歌山県立田辺高等学校教諭となった。同年、愛知第二師範学校助教授に就いた[3]。1954年、京都大学人文科学研究所助教授に転じた。1968年に教授昇格。1982年、第11代京都大学人文科学研究所所長に就任[4]。1984年に所長を退任。その後、京都国立博物館館長、京都市立芸術大学学長を務めた。
2012年8月3日、パーキンソン病のため、京都市内の自宅で死去。91歳没[5]。没日付けで正七位から従三位へ昇叙[6]。
初期の関心はアメリカのプラグマティズム哲学の研究であったが、のち日本を中心にした仏教、国家論、戦争論、日本文化論などに移った。1995年1月には皇居の講書始で「日本の国家について」を進講した。
梅原猛、梅棹忠夫らの「新・京都学派」の一人。関係者らとの書簡は「上山春平研究資料」として京都大学図書館に収められている[7]。主要著作は法藏館より『上山春平著作集』(全10巻)に収められている。