上川郡(かみかわぐん)は、北海道(天塩国)上川総合振興局の郡。
人口8,452人、面積1,000.64km²、人口密度8.45人/km²。(2024年7月31日、住民基本台帳人口)
以下の3町を含む。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町に士別市および名寄市の大部分(智恵文を除く)を加えた区域にあたる。
郡名は天塩川の上流部にあたることから命名。南に隣接する石狩国上川郡とは塩狩峠で境界を成している。
江戸時代の上川郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって開かれていたテシホ場所に含まれた。江戸時代後期になると文化4年南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え、上川郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり庄内藩が警固を行い、同6年の6藩分領以降は庄内藩領となっていた。
戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して上川郡が置かれた。