この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2023年3月) |
下田 隼成(しもだ はやなり、1984年7月16日 - )は、レーシングドライバー。血液型はO型。
レース活動の一方で、2003年にはCDデビューも果たしている。
1997年にカートデビュー。那須スーパーカップのSBクラスで優勝。那須スーパーカップのSSBクラスで優勝。1998年には、那須スーパーカップで優勝。JAF地方選手権関東西地域スポット参戦し、2位を獲得。
1999年、2000年は学業専念でレース活動を休止していた。
2001年は全日本カート選手権前哨戦のICAクラス茂木で優勝した後渡欧し、イタリアのフォーミュラ・ルノー選手権シリーズにフル参戦。イギリスのフォーミュラ・ルノー ウィンターシリーズにもフル参戦した。
2002年はイギリスのフォーミュラ・ルノー選手権シリーズにフル参戦。その一方で、全日本GT選手権にTeamUKYOより片山右京の代役としてシーズン途中から参戦し、マレーシア(セパンサーキット)でのデビュー戦で7位に入る。
2003年は、シーズン開幕直後のセブリング12時間レースに参戦し、予選で5位に食い込むも、決勝は73周目にマシントラブルにてリタイア。FIA スポーツカー選手権では開幕戦で決勝2位に入ったほか、オシャースレーベンで優勝。またフォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップに参戦するも、マシントラブルに苦しみ、成績としては第5戦モナコで決勝5位が最上位。またル・マン24時間レースにも参戦し、予選でクラス1位、決勝でLMP675クラス2位となる。
2004年は前年に引き続きフォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップに参戦するが良績は残せず最高位はスパ・フランコルシャンの決勝3位。ル・マン24時間レースでは予選総合3位となるも、決勝はリタイアした。
2005年は当初GP2への参戦を予定していたものの、開幕直前にシートを喪失。ル・マン耐久シリーズ(LMES)に参戦することになり、シリーズチャンピオン争いを繰り広げていたが、あと一歩のところでシリーズチャンピオンを逃し総合2位。アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)にも3戦程参戦し、3度のポールポジションと最終戦ラグナセカで優勝を収めている。その後、2005-2006年A1グランプリに、第4戦イースタン・クリークより日本チームから参戦していたが、第9戦メキシコGP以降チームの資金不足により不参加となっている。自身は9位入賞もしていたが、壮絶なクラッシュが多く話題になっていた。(最高位9位1回・チーム総合21位)
2006年はフォーミュラ・ルノー3.5に参戦するが良績は残せず最高位はモナコの5位。
2007年はルマン・シリーズ(LMS)に第2戦バレンシアより3戦参戦。予選は3位及び4位と好位置につけるもマシントラブルに苦しみ良績は残せず。アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)最終戦ラグナセカにもチーム ザイテック・モータースポーツより参戦した。
2008年からレース活動をしていない。
2002年途中にTOYOTA TEAM CERUMOより全日本GT選手権(JGTC)に途中参戦し、前年型のマシンであるのにもかかわらず入賞することが多かった。翌年以降は鈴鹿1000kmを中心に参戦し、2005年には総合優勝を飾った。それ以降、国内での参戦はない。
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002年 | TOYOTA TEAM CERUMO | トヨタ・スープラ | GT500 | TAI | FSW | SUG | SEP 7 |
FSW 16 |
TRM 12 |
MIN 11 |
SUZ 13 |
22位 | 4 |
年 | チーム | コ・ドライバー | 車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2003年 | RNモータースポーツ Ltd. | ジョン・ニールセン キャスパー・エルガード |
DBA4・03S-ザイテック | LMP675 | 288 | 22位 | 2位 |
2004年 | ザイテック エンジニアリング Ltd. | アンディ・ウォレス デビッド・ブラバム |
ザイテック・04S | LMP1 | 167 | DNF | DNF |
2007年 | アリーナ インターナショナル モータースポーツ | ステファン・ヨハンソン トム・チルトン |
ザイテック・07S | LMP1 | - | DNQ | DNQ |