不幸なる我が身 Infelix egoは、ウィリアム・バード作曲の無伴奏合唱のためのモテット。6声の混声合唱(ソプラノ、アルト、2部のテナー、2部のバス)のために書かれた。正確な作曲年は不明だが、1580年代に作曲された。歌詞は、メディチ家追放後のフィレンツェで神政政治を行ったが1498年に捕縛、絞首刑の後火刑に処せられたドミニコ会修道士ジローラモ・サヴォナローラの『詩篇50番についての瞑想』
Meditation on Psalm 50[1]
によっており、
ラテン語である。
曲は3部(1-98小節 Infelix ego etc., 99-161小節 Quid igitur etc.,162-268小節 Ad te igitur etc.)に分かれている。
曲の大部分は6声のかなり複雑なポリフォニーとして書かれているが、第3部の「Miserere mei」の部分のみほぼホモフォニーとして書かれており
この部分の歌詞は明瞭に聞こえる。バードが歌詞の力点をこの部分に見ていたことは明白だろう。
| |
- Infelix ego,
- omnium auxilio destitutus,
- qui cœlum terramque offendi:
- Quo ibo?
- Quo me vertam?
- Ad quem confugiam?
- Quis mei miserebitur?
- Ad cœlum levare oculos non audeo.
- Quia ei graviter peccavi.
- In terra refugium non invenio.
- Quia ei scandalum fui.
- Quid igitur faciam? Desperabo?
- Absit.
- Misericors est Deus,
- pius est salvator meus.
- Solus igitur Deus refugium meum:
- Ipse non despiciet opus suum,
- non repellet imaginem suam.
- Ad te igitur,
- piissime Deus,
- tristis ac mœrens venio:
- Quoniam tu solus spes mea,
- tu solus refugium meum.
- Quid autem dicam tibi?
- Cum oculos levare non audeo,
- verba doloris effundam,
- misericordiam tuam implorabo,
- et dicam:
- Miserere mei Deus,
- secundum magnam misericordiam tuam.
|
- 不幸なる我が身
- 全ての助けを失い
- 天国と地上に対して罪を犯した私
- 私はどこへ行けばよいのか?
- どこへ返ればよいのか?
- 誰の元へ飛び立てばよいのか?
- 誰が私を憐れんでくれるだろう?
- 私は天国を見上げる勇気がない
- なぜなら、天国に対して私はあまりにもひどい罪を犯してしまったのだから
- 地上に私の逃げ場はない
- なぜなら、地上おいて私は非道な者なのだから
- ならば、私は何をするのか?絶望するのか?
- そうではない。
- 神は慈悲深く
- 我が救い主はお優しい
- ゆえに、神のみが我が逃げ場であろう
- 神は自らの創造物を軽蔑したりはしない
- 自らの姿に似せて作ったものを拒んだりはしない
- ゆえに、あなたは
- 最愛なる神よ
- -----
- あなただけが我が希望であるがゆえに
- あなただけが我が逃げ場であるがゆえに
- しかし、私はあなたに何を言えばよいのだろうか
- なぜなら、私はあなたを見上げる勇気がないのだから
- 私は悲しみの言葉を吐き出し
- 慈悲を乞い
- そして、言うのだろう
- 主よ、私を憐れみたまえ
- あなたの大いなる同情心によって、と
|
サヴォナローラによるこの歌詞は、処刑のために未完成となったTristitia obsedit meとともに、
サヴォナローラが処刑された後ヨーロッパに急速に広まっていった[2]。
この歌詞に作曲した作曲家はバードだけではなく、
例えばオルランド・ディ・ラッソなど他にもたくさんいる[2]。
約14分
1589年と1591年に出版されたCantiones sacraeの第2巻に収録されている。
Choral Public Domain LibraryよりPDFファイルとして入手できる。
- ^ Meditation on Psalm 51と書かれているものもあるが、数が異なっているのは、後者がギリシア語でのナンバリングをもとにしているためである。ギリシア語とラテン語ではナンバリングがずれている。Meditation on the Miserereと書かれている場合もある。
- ^ a b 英語版ウィキペディアのInfelix egoの項を参照。