中山 泰秀 なかやま やすひで | |
---|---|
公式肖像写真(2020年公表) | |
生年月日 | 1970年10月14日(54歳) |
出生地 | 日本 大阪府大阪市北区[1] |
出身校 |
成城大学法学部法律学科 早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程 |
前職 |
広告代理店社員 国務大臣秘書官 国会議員政策秘書 |
所属政党 | 自由民主党(安倍派) |
称号 | 大学院修士(スポーツ科学)(早稲田大学) |
親族 |
祖父・中山福蔵 祖母・中山マサ 伯父・中山太郎 父・中山正暉 |
公式サイト | 中山泰秀 公式サイト |
選挙区 |
(比例近畿ブロック→) (大阪府第4区→) (比例近畿ブロック→) 大阪府第4区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
2003年 - 2009年 2012年12月21日[2] - 2021年10月14日 |
中山 泰秀(なかやま やすひで、1970年〈昭和45年〉10月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(5期)。
大阪府大阪市出身。成城大学法学部法律学科卒業、早稲田大学大学院修士 (スポーツ科学)。電通社員を経て、2003年第43回衆議院議員総選挙で初当選。2012年第46回衆議院議員総選挙で再選し、2021年まで衆議院議員を務めた。2022年に、東証グロース上場の株式会社FFRIセキュリティ社外取締役、Chartered Investment Managers Pte. Ltd.のベンチャーパートナーに就任[3]。
外務大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、外務副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、衆議院外務委員長、防衛副大臣兼内閣府副大臣(菅義偉内閣)を歴任した。
1970年(昭和45年)10月14日、大阪府大阪市北区生まれ。父は元衆議院議員、元建設大臣の中山正暉。伯父は元外務大臣の中山太郎。祖父は弁護士で戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務めた中山福蔵。祖母は女性初の国務大臣(厚生大臣)となった中山マサ。曽祖父の一人がアメリカ人。
小松幼稚園、追手門学院小学校、千代田区立九段中学校[1]、アルザス成城学園を経て、1993年(平成5年)成城大学法学部法律学科卒業。学士(法学)[4]。同年、電通入社[5]。アナウンサーの雨宮塔子は大学の同窓。
1996年(平成8年)、第41回衆議院議員総選挙で大阪5区に出馬。新進党の谷口隆義と日本共産党の東中光雄につぐ次々点で比例復活もならず落選した。
2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では、自公保連立政権・第1次森内閣発足に伴い大阪5区を公明党の谷口に譲り、近畿ブロックの比例単独下位(名簿登載順位第39位)で出馬するも落選する。
2001年(平成13年)、大阪府議会都島区補選に自民党公認・保守党推薦で出馬するも落選。その後、保守党から応援に派遣された小池百合子の政策秘書に採用される[5]。
2003年(平成15年)、第43回衆議院議員総選挙に大阪4区から出馬。小選挙区では民主党の吉田治に敗れるも、比例復活して初当選を果たす。
2005年(平成17年)、第44回衆議院議員総選挙に大阪4区から出馬し、前回敗れた吉田を破って再選される。
同年、政治倫理審査会委員、衆議院議事進行係を務めた[5]。2006年(平成18年)10月、党内閣部会専任部会長に就任。
2007年(平成19年)8月29日、第1次安倍改造内閣で外務大臣政務官に就任する。同年9月27日、福田康夫内閣で外務大臣政務官に再任された。
2009年(平成21年)8月30日、第45回衆議院議員総選挙で大阪4区から出馬。前回下した吉田に敗れ、比例復活もならず落選した。
2010年3月25日、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。大学院修士(スポーツ科学)の学位を取得[6]。指導教官は元通産官僚の平田竹男。大学院の同窓に桑田真澄(プロ野球選手)、江口晃生(ボートレーサー)が居る。
2012年(平成24年)12月17日、第46回衆議院議員総選挙に大阪4区から出馬。小選挙区では日本維新の会の村上政俊に敗れたが、比例復活で当選し、国政に復帰する。
2014年(平成26年)9月3日、第2次安倍改造内閣で外務副大臣に就任。同年12月14日、第47回衆議院議員総選挙に大阪4区から出馬し村上の後継で維新の党から出馬した吉村洋文・日本共産党の清水忠史および無所属で出馬した吉田を下して、9年ぶりに小選挙区で当選し4選(吉村・清水はそれぞれ比例復活)。同年12月25日、第3次安倍内閣で外務副大臣に再任される。
2015年(平成27年)1月20日、ISILによる日本人拘束事件を受け、外務省在ヨルダン日本国大使館に設置された現地対策本部の本部長に就任する[7]。同年10月、自民党大阪府連会長に就任した[8]。しかし、就任直後の11月22日に行われた大阪府知事選挙・大阪市長選挙および大阪市議会議員補欠選挙(西成区)では、自民党推薦・公認候補[9]が民主党や日本共産党の支援を受けたにも関わらず、大阪維新の会公認候補[10]に完敗している。
2017年(平成29年)10月22日、第48回衆議院議員総選挙に大阪4区から出馬し、吉村の後継[11]で日本維新の会の美延映夫と日本共産党の清水忠史に比例復活を許さず[12]、5選。
2018年(平成30年)、TPP11協定(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定の締結について承認を求める件)の採決について、外務委員会委員長として3日間の審議時間を与えた。2018年(平成30年)5月18日、TPP11は衆院本会議で可決された[13]。これに対し、国民民主党の関健一郎議員は「本来必要のない委員長職権による緊急上程だ」と批判し、立憲民主党の阿久津幸彦議員も批判したが、大島理森議長は採決に移り、午後1時30分すぎに起立多数で可決した[14]。
2020年(令和2年)9月18日、菅義偉内閣で防衛副大臣兼内閣府副大臣に就任[15]。
2021年(令和3年)10月31日の第49回衆議院議員総選挙で前回下した美延に約35000票の大差をつけられて落選。大阪4区における自身の選挙で、過去最低の得票数・得票率・惜敗率を記録した[16]。
同年11月25日、高市早苗党政務調査会長の下、政務調査会長特別補佐 (外交・国防・ゲームチェンジャー領域担当) に就任[17]。
2023年(令和5年)に行われた自民党の大阪府内衆院10選挙区の支部長公募において一度は再任が保留されたが[18]、9月12日に大阪4区支部長に再任された[19]。
2024年(令和6年)10月31日の第50回衆議院議員総選挙で美延に再び敗れ、比例復活もならず落選した[20]。
2021年7月14日、五輪組織委員会は、東京オリンピック・パラリンピックの開会式と閉会式の役職一覧を発表。事実上トップの「ショーディレクター」は元ラーメンズのメンバーの小林賢太郎であることが明かされた[49][50][51]。
ところが7月21日夜、芸能情報サイトが小林の「ラーメンズ」時代のコントについて触れ[52]、別の芸能雑誌が午後22時台にコントの動画をTwitterにはりつけて紹介[53]。「あの『ユダヤ人大量惨殺ごっこ』やろうって言った時のな」という小林の言葉はSNSで拡散され、中山のTwitterのフォロワーがコントの件を中山に報告[54]。22日午前2時、中山は自身のTwitterに「早速サイモンウィーゼンタールセンターと連絡を取り合い、お話をしました」と投稿。ホロコーストの記録保存や反ユダヤ主義の監視を行うサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)に、自ら連絡した旨を述べた[55][56]。さらに、同団体の代表者からのコメントとして、「この人物が東京五輪に関わることは、600万人の無実のユダヤ人の記憶を侮辱している」などとする英文を紹介した[54]。同団体は日本時間22日未明、抗議の声明を発表するに至った[57][58]。
開会式前日にあたる22日の午前、組織委員会は小林を解任するとともに謝罪のコメントを出した[59][60]。なお、中山は「SWCに連絡した時にはコントの動画について既に把握しており、抗議声明の準備をしていた」として、自身の連絡により、小林が解任される直接の動機になったことを否定している[61]。組織委員会会長の橋本聖子も「(中山とは別の)関係者からの指摘で早朝に確認した」とし、SWCからの抗議声明による影響ではないとコメントしている[55]。
2009年1月、自民党大阪府第4選挙区支部など自らが代表を務める3つの政治団体が、暴力団と関わりがあるとされて公共事業から排除された企業から政治献金を受け取っていたことが報じられた。中山は「マスコミ報道によって、暴力団と関わりがあることを知った」とコメントした。同時に、この企業に大阪府警察本部OBが当時2名在籍していたこと、大阪府の本庁舎及び大阪市福島区に所在し、大阪市の外郭団体が運営を行う中央卸売り市場の警備・ビルメンテナンスを請け負っていた事実が判明した。
マスコミの取材に対し、中山は「調べると大阪府警のOBが在籍し、官庁である大阪府、大阪市自らが発注を行っていた先の企業が、暴力団関係企業だと知る由もない。このような警察や行政すら当時把握出来ていない情報を、私たちが一体どのように把握すればよいのか、大いに疑問を抱く」と回答している[66]。
中山が副大臣在任中だった2014年、中山が代表を務める政治団体が収入額1000万円以上の政治資金パーティーを開いていた[67]。大臣規範は政務三役に対し、「国民の疑惑を招きかねないような大規模なパーティー」の自粛を求めている[67]。
イスラム過激派ISILによる日本人拘束事件でヨルダンの現地対策本部長を務めた中山は、帰国後に雑誌などで非難を受けた[68]。主に外務省関係者からの見聞による内容とされていたが、同様の記事を掲載したプレジデント編集部には、外務省報道課長、中東第一課長、邦人テロ対策室課長の連名で「報じられているような事実はない」と記事の訂正を求める抗議文が届いている[69]。中山本人も、2015年2月23日に行われた国会答弁[70]や、自身が出演するラジオ番組『ラジオ政論』などで、今回の誹謗中傷は事実に反する報道であると発言した[71][72]。
2016年6月12日、大阪市の国家予算要望説明会で「前の市長(橋下徹)の時に、秘書が覚醒剤で逮捕されたというのは本当ですか」との趣旨の発言をした。橋下は中山の発言は「完全な事実無根」だと主張し[73][74]、大阪市長吉村洋文は大阪市の名誉が損ねられたとして、6月20日に謝罪を要求する内容の文書を中山へ送付した[75]。同月、橋下は中山に対し、名誉を傷つけられたとして計一千万円の損害賠償を求めて大阪地裁に訴訟を起こすとともに、名誉毀損罪で大阪地検に告訴した[76][75]自民党関係者によれば橋下の秘書が逮捕されたという事実はなく、中山の発言は橋下の知事選出馬時の陣営スタッフが後に逮捕された件と混同していたとみられる[74]。
橋下は中山の発言を受け、「中山泰秀アホボンが、また大失態をやらかした」「日本一無能なピーマン政治家」などとtwitterに投稿していたため、同年12月には中山側も橋下の投稿で政治的信用が損なわれたとして一千万円の損害賠償などを求めて反訴[77]。2件の訴訟を巡って両者は対立姿勢を明確にしてきたが、2017年8月には和解に向けた協議に入り[78]、同年10月4日付で和解した。橋下は自身の弁護士事務所を通じ「本件に関して、一切コメント等をする予定はありません」とした[79]。
2021年5月20日、防衛副大臣として出席予定だった外交防衛委員会の開会時刻に遅刻し、予定していた質疑を取りやめて流会となった。1週間前に三原じゅん子厚生労働副大臣も同様に遅刻したばかりであったこともあり、与野党から厳しく批判された[80]。
2022年4月、中山は出演したラジオ番組などで、選挙区の競合相手である維新の美延映夫衆議院議員について、美延の妻が2016年に亡くなったことに言及し「家族を守れない人に国を守れない」などと述べた。美延は公表していない妻の死を公表されたとして中山に対し慰謝料など660万円の損害賠償を求め、2023年6月30日、大阪地裁は中山によるプライバシー侵害を認め66万円の支払いを命じた[81]。なおその後中山から美延に対して反訴請求がなされ、本裁判の控訴審において美延が損害賠償の請求を放棄し、和解により解決した[82]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
落 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 26 | 大阪府第5区 | 自由民主党 | 4万3143票 | 20.92% | 1 | 3/4 | 25/10 |
落 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 29 | 比例近畿ブロック | 自由民主党 | ーー票 | ーー | 30 | / | / |
落 | 2001年大阪府議会議員補欠選挙 | 2001年 | 31 | 大阪市都島区選挙区 | 自由民主党 | ーー票 | ーー | / | / | |
比当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 33 | 大阪府第4区 | 自由民主党 | 8万7187票 | 42.24% | 1 | 2/3 | 6/9 |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 34 | 大阪府第4区 | 自由民主党 | 13万2072票 | 52.25% | 1 | 1/3 | / |
落 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 38 | 大阪府第4区 | 自由民主党 | 9万8576票 | 36.98% | 1 | 2/4 | 12/9 |
比当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 42 | 大阪府第4区 | 自由民主党 | 8万9894票 | 36.39% | 1 | 2/5 | 3/7 |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 44 | 大阪府第4区 | 自由民主党 | 8万2538票 | 38.87% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 47 | 大阪府第4区 | 自由民主党 | 8万83票 | 42.29% | 1 | 1/3 | / |
落 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 51 | 大阪府第4区 | 自由民主党 | 7万2835票 | 31.24% | 1 | 2/4 | 11/8 |
落 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 54 | 大阪府第4区 | 自由民主党 | 6万4424票 | 29.53% | 1 | 2/5 | / |
議会 | ||
---|---|---|
先代 三ツ矢憲生 |
衆議院外務委員長 2017年 - 2018年 |
次代 若宮健嗣 |
公職 | ||
先代 山本朋広 |
防衛副大臣 2020年 - 2021年 |
次代 鬼木誠 |
先代 大塚拓 平将明 宮下一郎 寺田稔 亀岡偉民 松本洋平 御法川信英 石原宏高 山本朋広 |
内閣府副大臣 赤沢亮正 藤井比早之 三ッ林裕巳 田野瀬太道→丹羽秀樹 長坂康正 江島潔 堀内詔子 岩井茂樹→渡辺猛之と共同 2020年 - 2021年 |
次代 大野敬太郎 黄川田仁志 赤池誠章 小林史明 池田佳隆 山本博司 細田健一 石井正弘 渡辺猛之 務台俊介 鬼木誠 |
先代 岸信夫 三ツ矢憲生 |
外務副大臣 城内実と共同 2014年 - 2015年 |
次代 木原誠二 武藤容治 |
先代 関口昌一 松島みどり 浜田昌良 |
外務大臣政務官 宇野治 坂本由紀子→宇野治 小池正勝と共同 2007年 - 2008年 |
次代 西村康稔 御法川信英 柴山昌彦 |
党職 | ||
先代 熊谷大 徳田毅 |
自由民主党青年局長代理 熊谷大と共同 2013年 - 2014年 |
次代 牧原秀樹 中西祐介 |