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基本情報 | ||||||||||||||||||||||||
愛称 | MR.サイクリング、誠ちゃん | |||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1979年6月7日(45歳) | |||||||||||||||||||||||
出身地 | 熊本県熊本市 | |||||||||||||||||||||||
身長 | 174cm | |||||||||||||||||||||||
体重 | 78kg | |||||||||||||||||||||||
縁故選手 |
妹:中川諒子(102期) 義弟:吉成晃一(92期) 叔父:瀬口孝一郎(23期、引退) 従兄:瀬口慶一郎(77期)[1] | |||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||
登録番号 | 013745 | |||||||||||||||||||||||
所属 | 日本競輪選手会熊本支部 | |||||||||||||||||||||||
ホーム | 熊本競輪場 | |||||||||||||||||||||||
期別 | 85期 | |||||||||||||||||||||||
脚質 | 先行・捲り | |||||||||||||||||||||||
登録地 | ||||||||||||||||||||||||
2000- | 熊本 | |||||||||||||||||||||||
業績 | ||||||||||||||||||||||||
S級S班 | 2017, 2020 | |||||||||||||||||||||||
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自転車競技情報 | ||||||||||||||||||||||||
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■最終更新日:2024年5月9日 ■テンプレートを表示 |
中川 誠一郎(なかがわ せいいちろう、1979年6月7日 - )は、日本の競輪選手、元自転車競技選手。熊本県熊本市出身。日本競輪選手会熊本支部所属、ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第85期生。師匠は従兄の瀬口慶一郎(77期)。
実妹の中川諒子も競輪選手(102期)[2]、義弟(涼子の夫)の吉成晃一も競輪選手(92期)。きょうだいはほかに妹(諒子の姉)がいる[3]。
熊本大学教育学部附属小学校・同中学校[4]、真和高等学校を卒業。
少年漫画『SLAM DUNK』の影響で高校まではバスケットボールをしており(一時期は陸上競技も[5])、スポーツの勉強を希望して大学入試に臨んだが、全敗。叔父である競輪選手・瀬口孝一郎の勧めで自転車に乗り始める[6]。取り組んで3か月で1000mの独走が1分9秒台に達したという[7]。
2回目の受験で競輪学校に合格、85期生として入学。在校成績4位で卒業記念レースを優勝した。
卒業後は2000年8月15日、ホームバンクの熊本競輪場でデビューし1着。後2日間も勝利し、デビュー場所で完全優勝。
GII・ヤンググランプリに3年連続で出場(2001年・8着、2002年・9着、2003年・7着)した経験を持つが、2015年現在、同大会で同実績を持つのは中川だけである[8]。
2002年、中野浩一の誘いで[9]自転車競技のナショナルチーム入り[10]。
2003年1月、第44回朝日新聞社杯競輪祭でGI初出場(二次予選9着敗退)。
2013年11月、第55回朝日新聞社杯競輪祭でGI出場11年目にして、初の準決勝進出[11](7着敗退)。
2014年7月、第23回寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(弥彦競輪場)でGI初の決勝進出[12][13](先行するも6着)。9月、前橋競輪場のバンクレコードを更新(8秒8)[14]。
2016年3月、残るアジア1枠を個人スプリントでアジズル・ハスニ・アウァンと競っていたが、世界選手権(en)にてランキングで上回り、日本のリオ五輪出場枠を得た。アウァンは中川に「あなたから刺激を受けて、私は頑張ることができた」と祝福した[15]。4月6日、リオ五輪日本代表(スプリント)に選出された[16]。
直後に熊本地震が発生し、それを反映して熊本地震被災地支援競輪として開催された第70回日本選手権競輪(静岡競輪場)では一次予選からオール2着で勝ち上がり[17]、特別競輪(GI)2度目[18]の決勝進出を果たす。5月5日の決勝戦では、最終ホームで最後方から単騎の大まくりを仕掛け、後方を引き離す圧勝でGIを初優勝した[19][20](熊本勢のGI制覇は2006年・全日本選抜競輪の合志正臣以来)。
同年7月2日には、QVCマリンフィールドで「スポニチスペシャルデー」として行われたロッテ対オリックス戦の片山萌美による始球式で捕手を務めた[21]。10月には、熊本記念(久留米にて代替開催)で、2009年の松阪以来となる、自身通算3度目のGIII制覇(2004年京王閣の協賛GIIIを含む)を果たした[22][23]。年末のKEIRINグランプリ2016(初出場)は7着。
2018年7月1日、GIII宇都宮記念の優勝で、通算400勝(1380レース目)を飾った[24][25]。また、初日の6月28日には同場のバンクレコードを更新(13秒1)した[26]。10月の第27回寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(前橋競輪場)では、6度目の理事長杯出走で5着となり[27]、2日目の優秀競走ローズカップに自身初の出走を果たして脇本雄太(福井)の番手から1着をとった[28](しかし準決勝で7着敗退)。
2019年2月11日、別府競輪場でのGI初開催となった全日本選抜競輪で、地元九州勢の中からただ一人勝ち上がり、3年ぶり通算3度目の決勝進出[29]。39歳8か月でほぼ一周を逃げ切り優勝し、同じ単騎戦で2つ目のGIタイトルを獲得した[30][31][32][33][34]。開催前には尊敬する別府のグランプリホルダー・小野俊之[35][36]が不参加なことを嘆いてもいた[37]。
同年6月16日、岸和田競輪場で行われた高松宮記念杯競輪決勝で、鐘前からカマシ先行した脇本雄太の番手から差し切って優勝。2019年2回目のGI制覇となった[38][39]。
同年8月21日、長年の種目ライバルで1歳上[40][41]の荒井崇博を退け、九州地区プロ(小倉競輪場)のスプリントを6年ぶりに優勝[42][43][45]。年末のKEIRINグランプリ2019(3年ぶり2回目の出場)は8着。
2018年春に「追込転向宣言」をしたが、自力番組が継続されて有耶無耶のままとなり[46]、それ以降も先行・捲りを見せており[47][48]、2022年には佐世保競輪場のバンクレコードを2度更新した[7][49]。
2023年4月29日、久留米GIII「大阪・関西万博協賛競輪」第6レース(選抜)で1着となり、通算500勝を達成。S級創設(1983年4月)以降女子を含めて通算47人目の記録で、デビューから22年8か月14日(デビュー日を含まない)での達成となった。規程により後日、JKAより表彰予定[50]。ちなみに、当日は同期の川村晃司も通算500勝を達成しており(川村は通算48人目となる)、同日に同期二人が揃って通算500勝を達成した[51]。
2007年 - 2009年