1955年 | |
人物情報 | |
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生誕 |
1912年11月28日 大日本帝国 島根県松江市殿町 |
死没 |
1999年10月10日(86歳没) 日本 東京都杉並区久我山 急性腎不全 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 |
哲学 仏教学 歴史学 論理学 倫理学 比較思想 |
研究機関 |
東京大学 東方学院 |
学位 | 文学博士 |
称号 |
松江市名誉市民 東京大学名誉教授 文化功労者 文化勲章受章者 勲一等瑞宝章受章者 紫綬褒章受章者 日本学士院会員 |
主な業績 |
『初期ヴェーダーンタ哲学史』 『東洋人の思惟方法』 『佛教語大辞典』 『中村元選集』 |
影響を受けた人物 |
宇井伯壽 亀井高孝 ゴータマ・ブッダ 須藤新吉 ブルーノ・ペツォルト 和辻哲郎 |
影響を与えた人物 |
植木雅俊 上村勝彦 釈悟震 末木文美士 副島隆彦 奈良康明 早島鏡正 藤田宏達 前田專學 |
学会 | 比較思想学会 |
主な受賞歴 |
日本学士院恩賜賞(1957年) 毎日出版文化賞特別賞(1975年) 仏教伝道文化賞(1975年) 日本翻訳文化賞(1992年) NHK放送文化賞(1999年) |
脚注 公益財団法人中村元東方研究所を設立 |
中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者、比較思想学者[1]。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章[2]。
1912年 (大正元年) 11月28日、島根県松江市殿町にて生まれる[2][3]。元年生まれだったことから、元と名付けられた[3]。
1925年 (大正14年)、東京市立誠之小学校(現・文京区立誠之小学校)を卒業。1930年 (昭和5年)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を腎臓病により1年間休学後[3]、4年で修了。1933年 (昭和8年)旧制第一高等学校を卒業。在学中、須藤新吉と亀井高孝から学問の基本を学び、ブルーノ・ペツォルトから仏教の話を聞く[3]。1936年 (昭和11年)、東京帝国大学文学部印度哲学梵文(ぼんぶん)学科を卒業[2]。1941年 (昭和16年) 、同大学大学院博士課程を修了。宇井伯壽に文献学としての仏教学を学ぶほか、倫理学の和辻哲郎の知遇も得る。
1942年、博士論文「初期ヴエーダーンタ哲学史」を提出[4]。1943年 (昭和18年) 東京帝国大学助教授に就任[3][4]。同年5月6日、東京帝国大学から文学博士の学位を授与される[4]。博士論文の題は「初期ヴエーダーンタ哲学史」[5]。1954年 (昭和29年)、東京大学(1947年 (昭和22年) に東京帝国大学から改称)教授に就任(~1973年)[2][4]。1957年 (昭和32年)『初期ヴェーダーンタ哲学史』(岩波書店)で、日本学士院恩賜賞を受賞[4]。1964年 (昭和39年) 東京大学文学部長に就任(~1966年)[4]。この時期に春秋社で最初の『中村元選集』が刊行開始。
1970年 (昭和45年) 財団法人東方研究会(没後に中村元東方研究所へ改称)を設立、初代理事長に就任[4]。
1973年 (昭和48年)東京大学を定年退官、同大学名誉教授[4]。最終講義『インド思想文化への視角』と『インド思想と仏教 中村元博士還暦記念論集』(春秋社)が刊行される。定年後は、東方研究会の活動の一環として東方学院を開設し、学院長に就任した(1999年の没時まで)[4]。同年、デリー大学名誉文学博士、ベトナム・バンハン大学名誉文学博士[4]。
1974年 (昭和49年) 比較思想学の先駆者として比較思想学会も創設し、初代会長に就任(~1983年)[4][6]。同年、紫綬褒章受章[4]。1975年 (昭和50年)『佛教語大辞典』が刊行(東京書籍 全3巻、1981年に縮刷版全1巻)され[3]、毎日出版文化賞特別賞と仏教伝道文化賞を受賞[4]。1977年(昭和52年) 文化勲章受章[4]。文化功労者。1984年 (昭和59年)勲一等瑞宝章受章、日本学士院会員になる[4]。
1988年 (昭和63年)12月、『決定版 中村元選集』(春秋社)が刊行開始。1989年 (昭和64年・平成元年) 1月7日、8名の有識者委員の一人として「元号に関する懇談会」に列席。同年、松江市より名誉市民の称号と市民章が贈られる[3]。
1992年 (平成4年)『ジャータカ全集』で 日本翻訳文化賞を受賞。1994年 (平成6年) 第24代足利学校庠主(初代史跡足利学校庠主)に就任(1999年の没時まで)[4]。1995年 (平成7年) 『東方学』第九十号で、門下生の奈良康明・前田専學らと、座談会での回想「學問の思い出」を行う[7]。
1999年 (平成11年)NHK放送文化賞受賞[4]。同年7月、『中村元選集』全40巻(32巻+別巻8巻)が完結[4]。同年、10月10日午前10時45分、急性腎不全のため東京都杉並区久我山の自宅にて死去(満86歳)[4]。墓所は多磨霊園。戒名は自身が付けた「自誓院向学創元居士」[4]。
没後、2001年 (平成13年) 6月に『広説 佛教語大辞典』が刊行(全4巻、東京書籍、縮刷版全2巻が2010年7月に刊行)された。2012年 (平成24年) 10月10日、生誕100年を記念して、松江市八束町に中村元記念館が開設される[3]。同年10月、『中村元博士著作論文目録』が刊行された(ハーベスト出版、公益財団法人中村元東方研究所編集)。