なかむら たまお 中村 玉緒 | |||||||||||
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本名 | 奥村 玉緒(旧姓:林) | ||||||||||
別名義 | 林 玉緒(旧芸名) | ||||||||||
生年月日 | 1939年7月12日(85歳) | ||||||||||
出生地 | 日本・京都府京都市左京区 | ||||||||||
身長 | 156 cm | ||||||||||
血液型 | O型 | ||||||||||
職業 | 女優・タレント | ||||||||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ・舞台・バラエティ | ||||||||||
活動期間 | 1953年 - 2023年(療養中のため) | ||||||||||
配偶者 | 勝新太郎(1962年 - 1997年、死別) | ||||||||||
著名な家族 |
鴈龍(長男) 奥村真粧美(長女) 二代目中村鴈治郎(父) 四代目坂田藤十郎(兄) 若山富三郎(義兄) 扇千景(義姉) 四代目中村鴈治郎(甥) 三代目中村扇雀(甥) | ||||||||||
事務所 | 長良プロダクション | ||||||||||
公式サイト | 長良プロダクション タレント 中村玉緒 | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『いのちの現場から』シリーズ 『おばはん刑事!流石姫子』シリーズ 『あきまへんで!』 『おばさん会長・紫の犯罪清掃日記!ゴミは殺しを知っている』シリーズ 『愛は正義』 『冠婚葬祭探偵』 『京都へおこしやす!』 映画 『景子と雪江』 『銭形平次捕物控』シリーズ 『赤胴鈴之助』シリーズ 『ぼんち』 『大菩薩峠』 『黒い十人の女』 バラエティー番組 『さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』 『さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中』 | |||||||||||
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中村 玉緒(なかむら たまお、1939年〈昭和14年〉7月12日 - )は、日本の女優・タレント。本名(旧姓)および旧芸名は林 玉緒(はやし たまお)、結婚後の本名は奥村 玉緒(おくむら たまお)。愛称は「玉緒さん」「お母さん」。
京都市立立誠小学校、京都女子高等学校出身。所属事務所は長良プロダクション。
京都府京都市左京区出身。父は大映映画の貴重な脇役でもあった歌舞伎俳優二代目中村鴈治郎。夫は俳優の勝新太郎、長男は俳優の鴈龍(奥村雄大)、長女は奥村真粧美。また、兄は歌舞伎役者の四代目坂田藤十郎、その子供に四代目中村鴈治郎・三代目中村扇雀兄弟がいる。
1953年、本名で松竹作品『景子と雪江』にて映画初出演を果たすものの、その後お呼びはかからなかった。どうしても女優になりたかったため、親戚で大映の重役も兼ねていた長谷川一夫に頼み込んで1954年に大映へ入社。初年度の給料2万円は当時としては破格で、ハイヤーで撮影所通いという優遇ぶりだったが、主役は回ってこなかった。
1960年代半ばまで、幼馴染の市川雷蔵や山本富士子、若尾文子らスターを支える脇役として活躍。当時の玉緒は甲高く可愛らしい声をしており、純情な娘役を多く演じた。
1970年代には、テレビドラマの脇役として活躍。痛々しく健気な母親役を得意とし、評価を得る。
1994年、明石家さんま司会のバラエティ番組『明石家多国籍軍』などにおいて、強烈な天然ボケキャラクターで人気を得る[1]。以降、さんまが司会を務める番組の常連出演者となった。この頃より長者番付に名を連ね、主演ドラマや主演舞台もこなすようになった。
2023年2月、仕事先の名古屋で誤って転倒。背骨の圧迫骨折と診断され、介護施設で療養生活に入る[3]。
玉緒が夫の勝と知り合ったのは、大映時代。勝が熱烈に求愛し、玉緒もその気になったという。大映側もふたりの仲を認めざるを得なくなり、玉緒が撮影中に勝が迎えに来ると、「勝さんが来ているから…」と、早めに撮影を切り上げることもあった。
勝に対しては「生まれ変わってもあの人と一緒になりたい」と語るほど、一途な想いを貫いている。勝の晩年には、二人舞台『夫婦善哉』で共演した。バラエティ番組に出始めるようになったのも、喉頭癌に臥している勝を励ますためだった。その頃の勝は発声が困難な状況であり、病室のテレビで玉緒が出演するバラエティ番組を見るのが唯一の楽しみだった。勝の葬儀では、玉緒は笑顔で弔問者を迎え、勝を明るく見送った。玉緒の希望により、祭壇脇に東京タワーのミニチュア(高さ4.5m)が組まれる異例の葬儀で[4]、スポーツ新聞の記事では「東京タワー葬」と表現された。
家庭内での玉緒と長女は大変なおしゃべりで、豪放なイメージのある勝のほうが閉口していたといい、「世間は私たちが勝を我慢していたように思っていますが、本当は勝が私たちを我慢していました」と語っている。
子供たちのことを溺愛しており、長男と長女が揃って逮捕されたときには「罪は憎くても子供は憎めない」と語った。長男の初舞台では「息子の出番が少ない」と脚本を自ら書き直すほどの子煩悩ぶりだった。そして、長男が2019年に急死したとき、しばらくは立ち直れなかったという。
子育ては厳しく、幼い頃の鴈龍は靴紐が結べないことで往復ビンタされたというエピソードがある[5]。
父、二代目中村鴈治郎は玉緒を溺愛していたが、舞台では厳格な態度で接した。小さい頃「奥州安達原・袖萩祭文」で鴈治郎演じる袖萩の娘お君役を演じた際、上手く演じられなかったので三味線の撥で叩かれながら芝居をさせられ「お芝居出るの。もうこりこりや」とこぼした。
渡哲也の『くちなしの花』がお気に入りでありこの曲に関するエピソードがある。
2005年8月、声帯ポリープの除去手術を受け、全快した。勝と同様に喫煙者であり、1日に2箱のたばこを吸うヘビースモーカーであった。退院会見の際、「結婚の条件で『たばこをやめろ』と言われたが35年間やめなかったのでバチが当たった」と述べている[8]。手術後は禁酒とともに禁煙を行ったが、その後再び喫煙を再開している[6][7]。
大映の「二枚看板」として常に勝と比較されていた市川雷蔵とは、その前身が父と同じ歌舞伎役者であることから、父の楽屋に出入りしていた頃からの幼なじみで、深い親交があった。早世した雷蔵のことを、玉緒は現在でも兄のように慕っている。
本職は女優であるが、1990年代からバラエティ番組やテレビCMに出演するようになった。特に明石家さんまとの共演が多く、トークなどの相性の良さで非常に人気を博した。
1998年、バンダイのたまごっちシリーズのキャラクターになり、若い世代からも「玉緒っち」の愛称で人気を得た。
2002年、サミーよりパチンコ「CR玉緒でドッカン!!」を発表。なお、玉緒自身もパチンコに足繁く通っており、和田アキ子とはよく一緒にパチンコをする友人同士である。
2003年3月、岐阜県美濃加茂市にあるテーマパーク日本昭和村の名誉村長に起用される。
2003年10月1日、所属事務所の後輩である氷川きよしとともにTAMAO&KIYOSHI名義でデュエットソング『ラブリィ』を発売。
2006年秋に開催されたコントライブ『明石家さんまプロデュース 今回もコントだけ』に、女優で初めて演者として出演した。玉緒はギャグをもっていないため、自身が1994年から担当するCMのフレーズ「マロニーちゃん」をギャグとして連発した。さらに、「中村玉緒物語」と題したコントを「デビュー編」「結婚式編」「勝新太郎臨終編」の3部構成で敢行した。次の公演にも出演する予定だったが、「体力的に無理」という理由で参加していない。
2009年9月22日にフジテレビ系列の『カスペ!』枠で放送された特別番組『どこよりも超スゴい!ギネス世界記録公認!びっくり超人100連発』内の企画で、司会を担当した玉緒自らギネス登録に挑戦。出演者ら12人から1分間に87回のキスを手の甲に受け、「手にキスを受けた記録」として申請した。当該の項目はそれまで申請がなかったため、収録現場に公式認定員が立ち会い、その後新たな項目として登録され、記録保持者となった。
2021年1月、Instagramアカウント取得。3月、YouTubeにてチャンネル『中村玉緒の今日のことは今日で忘れる』を開設。