たんば よしたか 丹波 義隆 | |
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生年月日 | 1955年7月13日(69歳) |
出生地 | 日本・東京都杉並区 |
身長 | 173 cm[1] |
血液型 | A型[2] |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画、テレビドラマ、舞台 |
活動期間 | 1973年 - |
活動内容 | 1973年:デビュー |
配偶者 | 丹波久美 |
著名な家族 |
丹波哲郎(父) 丹波敬三(曾祖父) |
事務所 | カートプロモーション |
公式サイト | 公式サイト |
主な作品 | |
テレビドラマ 『ジャッカー電撃隊』 『ひそやかな日々を』 『修羅の旅して』 『いらっしゃいませ!』 『料理恋物語』 『新幹線物語'93夏』 映画 『青葉繁れる』 『アラスカ物語』 『連合艦隊』 『大霊界』 |
丹波 義隆(たんば よしたか、1955年〈昭和30年〉7月13日[1][2][3][4] - )は、日本の俳優。本名は同じ[1][2][4]。
東京都杉並区出身[5]。東京都立杉並高等学校卒業[3][4]、成城大学文芸学部中退[6]。アルファワン・プランテーション[7]→カートプロモーション所属[8]。既婚。
俳優・丹波哲郎の長男[3]。異母弟は森正樹。曽祖父は丹波敬三。先祖は丹波康頼(丹波氏)。父・哲郎が「義隆」を音読みにして「ギリュウ」と度々呼んでいたことから、これから転じた「ギル」というあだ名があった(千葉真一にもそう呼ばれていた)[9]。
高校在学中の1973年、“製作費節約のため”という理由で出演を請われ、のちの丹波企画のプロデューサーが製作した大森健次郎監督第1回作品『二十歳の原点』(東京映画)に角ゆり子扮するヒロイン・高野悦子の弟役で映画デビュー[3][4][8]。そのまま俳優を続けるつもりはなかったが、ついで岡本喜八監督の東宝映画『青葉繁れる』のオーディションに、父の職場を覗く程度の気持ちで受けたところ合格[3][8]。名門高校の劣等生役で主演しユニークな個性を発揮した。1977年、『アラスカ物語』(映画)で、丹波哲郎と父子共演を果たしている[注釈 1]。
1975年、NHK連続テレビ小説『水色の時』でテレビドラマ初出演[10]。以降、『Gメン'75』『見まわせば二人』などのテレビドラマに多数出演する[4]。
1977年に『ジャッカー電撃隊』で主役の桜井五郎(スペードエース)役を演じた[8]。
1989年、父・哲郎が製作した『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』で主演し、続編の『丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!』でも哲郎演じる主人公の若返った姿に扮し後半の主役を務めた[3]。
1981年より、俳優養成所「丹波道場」の責任者となった[4]。
趣味は、スキー[11]、水泳[11]、ゴルフ[11]、ラジコンの模型飛行機作り[4][6]。また、鉄道模型のZゲージとスキーとスクーバダイビングとゴルフと社交ダンスにも造詣が深く、自身のホームページで紹介している。
妻は、映画『おれは男だ! 完結篇』でデビューした丹波久美(旧姓名・田中久美、1966年8月29日[12] - 、東京都出身[12]。)で、1988年1月30日に結婚[3]。両親は社交ダンスのインストラクター。久美が演技の基礎を学び直すため、丹波道場に入ったことから付き合いが始まったという。結婚後は父・丹波哲郎のマネージャーも務めていた。
一男二女の父でもあり[注釈 2]、子供たちとは旅番組で共演することもある。
当初は母親から「役者になろうと思うな」と言われていたこともあり俳優を志望してはおらず、パイロットを目指していたが近眼になり断念した[8]。その後、プロスキーヤーを目指していたが、『青葉繁れる』のオーディションを受けることとなる[8]。『青葉繁れる』の撮影中も俳優の道に進むことに迷いがあったが、上映後に観客が自身の芝居で泣き笑いしているのを見て「人の心を動かせる仕事」であることを理解し、俳優の道を続けていくことを決意したという[8]。
『ジャッカー電撃隊』の前作『秘密戦隊ゴレンジャー』でもアカレンジャー役のオファーが来ていたが辞退している[注釈 3]。『ジャッカー電撃隊』でもオートバイ免許を取得していないことや変身ポーズが恥ずかしいことなどから依頼を遠慮していたが、東映プロデューサーの吉川進から「今回のヒーローは自動車に乗り、カプセルで変身する」と言われ、断る理由がなくなってしまったという[8]。
当初は人前でポーズをつけたりすることに照れを感じていたが、実際に始めてみると気持ちよさを感じ、自身がヒーローであることを認識して夢中で取り組んだという[16]。
番組のてこ入れのため、第23話から登場したビッグワン/番場壮吉役の宮内洋は、丹波哲郎の弟子であったこともあり、師匠の息子である丹波義隆が主演の番組に登場することについて「主役を奪うようで気がひけた」と語っている[17]。一方、義隆は宮内の芝居は勉強になったと述べている[8]。
劇場版『ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー』では、ラストの立ち回りでスーツアクターが足りなくなったため、自ら変身後のスペードエースを演じている[8]。丹波は、スーツの匂いや視界の狭さなどを体験し、「大変な仕事だ」と感じたという[8]。
メンバーのチームワークは良く、スタッフ全員とも馬があったと述べている[16]。共演した田中浩とは番組終了後も親交が続き、プライベートでも「隊長」と呼んでいた[16]。
『ジャッカー』の後に出演したテレビドラマ『事件』では、ヒーローとは対極ともいえる被告人役であったが、無意識にヒーローのような格好つけた演技をやってしまい、修正するのに苦労したことを語っている[8]。