久しく待ちにし主よとく来たりて(ひさしくまちにししゅよとくきたりて、Veni, Veni, Emmanuel 英 O come, O come, Emmanuel)は、アドベントの時期に広く歌われる讃美歌(クリスマス・キャロル)である。詞・曲とも、中世の聖歌のものであったが、19世紀にジョン・メーソン・ニールとトマス・ヘルモアにより歌詞の英訳と曲の編曲が行われ、現在の形となった。
この讃美歌は、元々9世紀のラテン語聖歌であり、19世紀に讃美歌の作詞者であるジョン・メーソン・ニールが英訳した。音楽も,もとは中世フランスの[1]「Veni Emmanuel」という、聖フランシスコ女子修道会行列賛歌 (processional) で、リスボンの国立図書館の典書にあったこの曲を[2]ニールの友人の、合唱指揮者トマス・ヘルモアが、1856年に編曲し[1]、5つのスタンザから構成される[2]現在の形となった[1]。ニールのオリジナルの翻訳では、出だしの部分が
Draw nigh, draw nigh, Emmanuel
となっていたが、その後O Come, O Come, Emmanuelに変更され、アドベントの時期に広く歌われるようになった[2]。
ニールは元々イギリス国教会司祭であったが、オックスフォード運動 に関わったことで国教会の上層部と対立し、1846年、サキヴィル大学の指導教官に就任後は、不遇な生活を送った。しかし現在、彼の作品は高く評価されている。ニールは他にも『ウェンセスラスはよい王様』などの代表作がある[2]。
この讃美歌の出だしの箇所「O Come, O Come, Emmanuel」(来(きた)れ、来れ、インマニュエル)とは、旧約聖書のイザヤ書第7章14節にある預言である[2]。
見よ、おとめがみごもって男の子を産み、その名はインマヌエルと呼ぶ。—[3]イザヤ書 第7章14節、536頁
インマヌエル(インマニュエル)とは、「主は我らと共にあり」の意味で、メシアであるイエス・キリストの呼び名の一つである[2]。マタイによる福音書にもこういう記述がある。
見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、神は我々と共におられるという意味である。—[3]マタイによる福音書 第1章23節
イザヤ書にはこういう記述もある[4]。
闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(中略)ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業(わざ)によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の王の熱意がこれを成し遂げる。—[3]イザヤ書第9章1節、5-6節
また、受胎告知をテーマにした美術作品で、告知の天使ガブリエルが現れた際に、マリアが読書をしている作品が多いが、この時マリアが読んでいるのは旧約聖書で、イザヤの預言の成就を暗示しているといわれる[2]。
古代イスラエルの民は、バビロン捕囚の苦しみを味わい、それゆえに、「救い主(メシア)」待望の信仰が生まれた。この讃美歌も暗さの中に光を求める讃美歌であり、救い主を強く期待する歌、救い主を待ち望む願望の歌でもある[4]。また、原曲が中世の聖歌であるため,旋律も和声も、厳かな雰囲気を醸し出している[1]。