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わたりちょう 亘理町 | |||||
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悠里館 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 宮城県 | ||||
郡 | 亘理郡 | ||||
市町村コード | 04361-3 | ||||
法人番号 | 2000020043613 | ||||
面積 |
73.60km2 | ||||
総人口 |
32,539人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 442人/km2 | ||||
隣接自治体 | 岩沼市、角田市、亘理郡山元町、柴田郡柴田町 | ||||
町の木 | クロマツ | ||||
町の花 | サザンカ | ||||
亘理町役場 | |||||
町長 | 山田周伸 | ||||
所在地 |
〒989-2393 宮城県亘理郡亘理町字悠里1番地 北緯38度02分39秒 東経140度52分03秒 / 北緯38.04417度 東経140.86756度座標: 北緯38度02分39秒 東経140度52分03秒 / 北緯38.04417度 東経140.86756度 亘理町役場 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
亘理町(わたりちょう)は、宮城県南部の亘理郡に属する町。東は太平洋に面しており、西には阿武隈高地、北には阿武隈川が位置する[2]。亘理伊達氏の城下町として知られる。
町域は西側に里山地帯、東側には沖積平野の田園地帯が広がる[2]。県の地域区分では広域仙台都市圏に含まれる。
仙台藩主・伊達政宗の重臣である伊達成実を初代当主とする亘理伊達氏の城下町として栄え、町内にはそれに伴う名所や旧跡が点在する。
町内は、中央西部に位置し町の中心地である亘理地区と北部の逢隈地区、中央東部の沿岸に位置する荒浜地区、南部の吉田地区に分けられる。亘理地区の市街地を東西に貫く県道10号塩釜亘理線の沿道には中小の店舗が建ち並び、亘理郡の中心商業地となっている。
温暖な気候を利用しての果樹・花卉栽培が盛んであり、特にイチゴが名産である。2007年には郷土料理のはらこ飯が農林水産省の主催する農山漁村の郷土料理百選に選出された。
隣接する山元町とは2002年(平成14年)11月から合併に向けて協議が行われたが決裂した。県から代替案として名取市・岩沼市・亘理町・山元町を合併する案が示されたが[3]、人口規模のみを基準とする案であったため具体的な協議が行われることも無かった。
町の西側は丘陵地帯になっており、東側には平野が広がっている。北側の岩沼市との境には阿武隈川が流れ、太平洋に注ぐ。沿岸部には汽水湖の鳥の海がある。
奥羽山脈と陸前丘陵、さらに阿武隈高地によって雪雲が遮断され、海風によって気温が上昇するため、冬季は県内でも特に晴天率が高く温暖な地域である。
亘理(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 17.4 (63.3) |
20.8 (69.4) |
25.2 (77.4) |
30.2 (86.4) |
30.8 (87.4) |
33.9 (93) |
36.1 (97) |
36.0 (96.8) |
34.4 (93.9) |
29.5 (85.1) |
26.1 (79) |
20.8 (69.4) |
36.1 (97) |
平均最高気温 °C (°F) | 6.1 (43) |
6.7 (44.1) |
10.1 (50.2) |
15.3 (59.5) |
19.7 (67.5) |
22.4 (72.3) |
25.8 (78.4) |
27.5 (81.5) |
24.6 (76.3) |
19.7 (67.5) |
14.3 (57.7) |
8.8 (47.8) |
16.8 (62.2) |
日平均気温 °C (°F) | 1.8 (35.2) |
2.2 (36) |
5.2 (41.4) |
10.3 (50.5) |
15.2 (59.4) |
18.7 (65.7) |
22.4 (72.3) |
23.9 (75) |
20.6 (69.1) |
15.2 (59.4) |
9.4 (48.9) |
4.3 (39.7) |
12.4 (54.3) |
平均最低気温 °C (°F) | −2.5 (27.5) |
−2.3 (27.9) |
0.3 (32.5) |
5.2 (41.4) |
11.0 (51.8) |
15.6 (60.1) |
19.7 (67.5) |
21.0 (69.8) |
17.2 (63) |
11.1 (52) |
4.6 (40.3) |
−0.1 (31.8) |
8.4 (47.1) |
最低気温記録 °C (°F) | −13.0 (8.6) |
−11.6 (11.1) |
−7.6 (18.3) |
−4.9 (23.2) |
2.9 (37.2) |
7.9 (46.2) |
12.3 (54.1) |
12.7 (54.9) |
7.7 (45.9) |
0.9 (33.6) |
−3.8 (25.2) |
−7.3 (18.9) |
−13.0 (8.6) |
降水量 mm (inch) | 45.3 (1.783) |
33.3 (1.311) |
71.7 (2.823) |
86.6 (3.409) |
104.7 (4.122) |
133.1 (5.24) |
180.7 (7.114) |
154.9 (6.098) |
202.6 (7.976) |
164.0 (6.457) |
58.0 (2.283) |
37.3 (1.469) |
1,272.2 (50.087) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.3 | 5.1 | 7.7 | 8.1 | 9.4 | 11.7 | 13.8 | 11.5 | 12.1 | 8.8 | 5.8 | 5.5 | 104.9 |
平均月間日照時間 | 153.2 | 158.2 | 183.4 | 190.6 | 190.1 | 146.0 | 132.9 | 155.9 | 131.2 | 144.9 | 145.5 | 146.4 | 1,881.1 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[4] |
令和2年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.49%減の33,087人であり、増減率は県下35市町村中12位。
1970年代以降、仙台都市圏のベッドタウンとして人口が増加していたが、2006年以降は減少に転じている[5]。
宮城県内の市である角田市と白石市より人口および人口密度が大きい[注釈 1]。また、東北地方の町としては、柴田町、利府町に次いで3番目に人口が大きい[注釈 1]。
亘理町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 亘理町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 亘理町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
亘理町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
『日本書紀』巻七「日本武尊の遠征」に葦の浦・玉の浦を経て日高見へ至るという記述があり、この葦の浦が亘理にあたるという(玉の浦は岩沼市玉浦・仙台空港付近を、日高見は北上川流域を指す)。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 齋藤源吉 | 1889年(明治22年)4月28日 | 1890年(明治23年)3月18日 | |
2 | 武田万治郎 | 1890年(明治23年)8月2日 | 1898年(明治31年)4月12日 | |
3 | 武田吉平 | 1898年(明治31年)7月26日 | 1900年(明治33年)10月23日 | |
4 | 鈴木賢精 | 1900年(明治33年)11月12日 | 1901年(明治34年)3月16日 | |
5 | 中村彬 | 1901年(明治34年)4月2日 | 1904年(明治37年)3月12日 | |
6 | 坂元長造 | 1904年(明治37年)4月14日 | 1909年(明治42年)5月30日 | |
7 | 隈川誠治 | 1909年(明治42年)7月7日 | 1913年(大正2年)3月25日 | |
8 | 武者省吾 | 1913年(大正2年)8月23日 | 1921年(大正10年)3月28日 | |
9 | 山田周吉 | 1921年(大正10年)5月30日 | 1926年(大正15年)3月31日 | |
10 | 永田万吉 | 1926年(大正15年)8月3日 | 1927年(昭和2年)9月9日 | |
11 | 松浦隆造 | 1928年(昭和3年)10月7日 | 1929年(昭和4年)2月22日 | |
12 | 門沢惣蔵 | 1929年(昭和4年)4月29日 | 1930年(昭和5年)4月8日 | |
13 | 丸谷由三郎 | 1930年(昭和5年)4月14日 | 1934年(昭和9年)3月1日 | |
14 | 齋藤譲一郎 | 1934年(昭和9年)3月2日 | 1936年(昭和11年)5月10日 | |
15 | 山田周蔵 | 1936年(昭和11年)5月11日 | 1940年(昭和15年)5月14日 | |
16 | 武田淑郎 | 1940年(昭和15年)5月20日 | 1944年(昭和19年)5月17日 | |
17 | 山田周蔵 | 1944年(昭和19年)5月18日 | 1946年(昭和21年)12月31日 | 再任 |
18 | 丹野恒二郎 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
19 | 門沢惣蔵 | 1951年(昭和26年)4月22日 | 1955年(昭和30年)1月31日 | 再任 |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 玉田清 | 1955年(昭和30年)3月13日 | 1956年(昭和31年)11月30日 | 元・逢隈村長 |
2 | 山田周蔵 | 1957年(昭和32年)1月13日 | 1965年(昭和40年)1月12日 | 合併前を含めて三任 |
3 | 武田伸郎 | 1965年(昭和40年)1月13日 | 1973年(昭和48年)1月12日 | |
4 | 山形勝治 | 1973年(昭和48年)1月13日 | 1978年(昭和53年)4月20日 | |
5 | 深田伊三郎 | 1978年(昭和53年)5月28日 | 1982年(昭和57年)5月27日 | |
6 | 竹澤一雄 | 1982年(昭和57年)5月28日 | 1990年(平成2年)5月27日 | |
7 | 伊藤敏雄 | 1990年(平成2年)5月28日 | 2002年(平成14年)5月27日 | |
8 | 齋藤邦男 | 2002年(平成14年)5月28日 | 2014年(平成26年)5月27日 | |
9 | 齋藤貞 | 2014年(平成26年)5月28日 | 2018年(平成30年)5月27日 | |
10 | 山田周伸 | 2018年(平成30年)5月28日 | 現職 |
2006年度より10ヶ年計画での総合発展計画を策定した。基本理念は「暮らしやすさNO.1」である。
友好都市
安心して生涯を託せる「保健福祉のまちづくり」をめざす。
生涯学習体制と学校教育の充実を指向。
町立小学校6校
町立中学校4校
県立高校1校
他に幼稚園2園(私立)
亘理町町民乗合自動車「さざんか号」
「みどり豊かなすみよい田園都市をつくるため」に、以下の憲章を定めている。
注釈
出典