画像右奥手前は本社の京王府中晴見町ビル (京王バス府中営業所) | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル[1] 北緯35度40分44.2秒 東経139度28分23.5秒 / 北緯35.678944度 東経139.473194度座標: 北緯35度40分44.2秒 東経139度28分23.5秒 / 北緯35.678944度 東経139.473194度 |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 北緯35度39分4.9秒 東経139度26分53.3秒 / 北緯35.651361度 東経139.448139度 |
設立 | 2002年2月1日[1] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 9013401002381 |
事業内容 | 乗合バス事業、貸切バス事業、特定バス事業他 |
代表者 | 代表取締役社長 宮坂周治[1] |
資本金 | 1億円[2] |
発行済株式総数 |
9万2000株 (2010年3月31日現在) |
売上高 |
58億9000万円 (2021年3月期) [3] |
営業利益 |
▲16億0900万円 (2021年3月期)[3] |
経常利益 |
▲15億8400万円 (2021年3月期)[3] |
純利益 |
5億8,000万円 (2024年3月期)[4] |
総資産 |
285億4,800万円 (2024年3月期)[4] |
従業員数 | 524名(2023年3月31日時点)[1] |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄 100% |
主要子会社 | 京王バス 100%[5] |
関係する人物 | 永田正 |
外部リンク | https://www.keio-bus.com/ |
京王電鉄バス株式会社(けいおうでんてつバス、英称:Keio Dentetsu Bus Co.,Ltd.[6])は、2002年2月1日に設立され[1][7]、同年8月1日に京王電鉄自動車事業部の事業一切を継承して営業を開始した[7]、京王グループの中核バス会社である。
子会社に京王バス株式会社があり、当社と合わせて京王電鉄バスグループを形成している。本稿では京王バスについても扱う。
本社は両社とも東京都府中市晴見町2-22、京王バス府中営業所内にある「京王府中晴見町ビル」に所在する[1]。ただし登記上の本店は、東京都多摩市関戸一丁目9-1の京王電鉄本社にある。
一般路線バスの営業エリアは、新宿から東京23区西部および多摩地域であり、京王電鉄バスグループの路線網は京王電鉄沿線のほぼ全域に及ぶ。そのほとんどが東京都内完結路線であるが、一部京王相模原線沿線など神奈川県内に乗り入れる路線もある。
高速バスは、バスタ新宿、渋谷マークシティ、立川駅などを拠点に、山梨県・長野県・岐阜県・愛知県への中央高速バスをはじめとして、群馬県・長野県への関越自動車道・上信越自動車道経由の高速バス、静岡県への東名高速道路経由の高速バス、大阪府・兵庫県・宮城県への夜行高速バスを運行している。
京王電鉄沿線およびJR中央線沿線などから、羽田空港・成田空港への空港連絡バス、調布駅と東京ディズニーリゾート、渋谷マークシティから、三井アウトレットパーク木更津・袖ヶ浦バスターミナル・木更津駅を結ぶ直行高速バスなども運行している。
高速バス座席予約システムの「ハイウェイバスドットコム」は2000年に京王電鉄が開設し、バス事業分社化により京王電鉄バスに引き継がれ運営されている。
沿線の各自治体からコミュニティバスも運行受託しており、京王電鉄バスとしては桜ヶ丘営業所で日野市ミニバス(日野市)の運行を受託している。子会社におけるコミュニティバス運行受託は「#子会社」の節を参照。
なお「京王電鉄バス」の名称は、本来は1997年4月1日に最初の分離子会社として設立された京王バス株式会社(初代)と区別するために、京王帝都電鉄(当時)直営のバス事業に対して付けられたものである。その後、2002年にバス事業が京王電鉄から分社化される際に「京王電鉄バス」の名称がそのまま用いられた。
京王電鉄バス(八王子営業所・桜ヶ丘営業所・小金井営業所)の2023年4月1日時点での車両数は133両、従業員数は524名(子会社を除く)[8]。京王バス株式会社(2代目)の詳細については「#子会社」の節を参照。
京王電気軌道(現:京王電鉄京王線)は、1910年(明治43年)9月21日、資本金125万円(払込資本金31万2500円)で設立、本店を東京府豊多摩郡代々幡村大字代々木字山谷291番地に置いた[9]。京王のバスの歴史は1913年4月15日、京王線の笹塚 - 調布間の開通と同時に、未成区間の新宿駅 - 笹塚駅間および調布駅 - 府中 - 国分寺駅間に、5両の車両で乗合バスを開業したことに始まる。これらは東京における最初のバス営業である。この路線は暫定的な輸送手段の色合いが濃く、1914年に調布駅 - 国分寺駅間が運休(のち廃止)、1915年には新宿駅 - 笹塚駅間も鉄道開業にともない廃止され、いずれも短期間で幕を下ろしている[10][11][12]。
京王が再びバス事業に乗り出すのは、昭和初期のことである。1924年(大正13年)10月に、笹生万吉[13]が万歳自動車の名義で甲州街道の新宿三丁目 - 新町 - 代々幡間にバスを開業させた。その後路線を烏山・調布を経て多磨村の東京市営公園墓地(現・多磨霊園)まで延長していた。1927年5月31日、堀内良平等の手により甲州街道乗合自動車が設立され[14]、笹生の事業を引き継いだ。甲州街道に並行して軌道線をもつ京王電気軌道は、万歳自動車の発展を脅威と感じていたため、甲州街道乗合自動車の設立時に同社株の過半数以上を取得して関連会社とした。
甲州街道乗合自動車はその後、1930年(昭和5年)8月5日には千駄ケ谷駅 - 原宿駅間、および新町 - 青山四丁目間の神宮乗合自動車(1928年(昭和3年)2月23日開業)を、1935年(昭和10年)頃には武蔵小金井駅から多磨霊園北門までと、小金井橋を経て旧五日市街道を東は柳橋、西は喜平橋まで結んで営業していた小金井乗合自動車(鴨下正義と島崎橘之助が1930年(昭和5年)4月1日に開業。別名・小金井モーターバス[15])を、1937年(昭和12年)7月24日には東京市内の新宿一丁目から音羽九丁目までの路線を持つ山之手乗合自動車(中村融一が1925年(大正14年)8月24日に山之手乗合自動車商会として開業し、1934年9月13日に株式会社を設立)をそれぞれ買収して営業権と資産を譲受したことで甲州街道乗合自動車の路線網は、甲州街道沿いにとどまらず広範囲にわたっていた[10]。
1937年12月1日に京王電気軌道は甲州街道乗合自動車を完全買収して事業の一切を吸収した。これにより京王電気軌道自動車課および同課笹塚営業所が設置され、軌道先行バスの廃止以来22年ぶりに直営バス事業が再開された[10]。これが現在の京王電鉄バスグループにつながる源流となる。さらに甲州街道乗合自動車買収の同日に、高尾遊覧自動車も買収した。当時の京王電気軌道直営の「京王バス」のカラーリングは、水色地に白色帯であった。
多摩地域では、1938年(昭和13年)3月21日に八王子市街自動車を買収[16]して、6月1日に事業を吸収。八王子市内に京王のバスが走るようになった。翌1939年(昭和14年)には甲州街道沿いの南多摩郡横山村散田(現:八王子市並木町)に八王子営業所を設置した[17]、[18]。
また、1938年(昭和13年)7月16日には高幡乗合自動車(高幡不動 - 立川間。矢島只市が1926年(大正15年)7月23日に開業[19])、1939年(昭和14年)3月1日には由木乗合自動車(八王子 - 由木 - 相原間。石井善蔵が1929年(昭和4年)11月25日に開業[20])を買収し、事業を吸収している[10]。
京王電気軌道はこれら直営バス事業に繋がる路線以外にも積極的に周辺事業者の買収を進め、1935年(昭和10年)8月10日には板橋乗合自動車(1919年2月19日開業)を買収して東都乗合自動車を玉川電気鉄道と共に設立し、また1936年(昭和11年)2月15日には玉川電気鉄道と共に鳩ヶ谷自動車(1916年6月19日設立。いずれも国際興業バスの前身)を傘下に収め、勢力を埼玉県南部にまで拡大させた。一方、1937年(昭和12年)6月25日[21]に藤沢自動車(1931年2月17日設立。神奈川中央交通の前身)を買収して神奈川県下にも勢力を拡げ、同年7月13日に中野乗合自動車(1925年11月10日開業。関東バスに合併)とことごとくバス事業者を系列化した[10]。その後1940年には進運乗合自動車(1920年2月開業。関東バスに合併)を、1942年には昭和自動車商会(1927年3月15日開業。関東バスに合併)をそれぞれ買収するなど、バス事業者としても都内有数の事業者として勢力を強めていった[10]。
しかしその矢先に大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発し、1942年2月1日には陸上交通事業調整法に基づく戦時統合のため、新宿以東の山手線内の以下3区間が東京市へ譲渡された。
そして1944年5月31日、京王電気軌道は東京急行電鉄に合併され、大東急の一員に加わった[10]。
京王電気軌道が直営で運行していたバス路線のエリアは、おおむね甲州街道上または新宿区十二社周辺および、現在の多摩地域であった。
現在の京王バス中野営業所および永福町営業所が管轄する路線の多くは、東京横浜電鉄(東急東横線の前身)傘下の東横乗合(東急バスの前身)が、中野・杉並両区内の事業者を統合して運行していたものである。
東横乗合は恵比寿駅 - 田町駅間を運行していたエビス乗合自動車が、1929年(昭和4年)8月19日に東京横浜電鉄の傘下に入り、同年11月21日に同系の代々木乗合自動車を合併して商号変更した会社で、同時に同社直営の中目黒線(大橋 - 大鳥神社間)を譲受した。
このうち代々木乗合自動車は1920年(大正9年)12月25日加藤義満や伊崎捨次郎、瀬戸喜重郎ら地元の有力者が設立した会社で、渋谷駅 - 三角橋(松陰学院前)間を開通させ、翌1921年(大正10年)6月30日にはこれを東北沢を経て幡ヶ谷まで延伸したが業績は芳しくなく、1922年(大正11年)8月19日東京乗合自動車(青バス)にいた近藤富次郎が専務に就任し再建に成功。さらにその同年12月23日には三角橋 - 淡島間(のち廃止)、同月29日には大向 - 代々木西原町間(のち初台まで延長)をそれぞれ開通。1928年(昭和3年)に幡ヶ谷自動車(1925年(大正14年)12月21日創業)を合併して幡ヶ谷から中野登記所(のちの千代田町、現・新橋通り)まで延伸した。
東京横浜電鉄の傘下に入ったのは、同社の代表者である五島慶太と近藤の個人的な繋がりによるもので、五島は近藤とともに代々木乗合自動車の役員に就任していたが、近藤の専務就任も五島の推薦によって実現していた。東横乗合成立後も近藤は東横乗合の役員に収まって戦前の東京横浜電鉄のバス事業を支え続けた。
その後路線は現在の中野・杉並区内を延伸し、川島(現・川島通り)から十貫坂上・鍋屋横丁を通り中野駅までや、十貫坂上で分かれて救世軍診療所前を経て堀ノ内まで、東京高校前から上ノ山(南台三丁目付近)を経て大宮八幡にまでそれぞれ達した。1932年(昭和7年)12月8日には堀ノ内 - 武蔵小金井駅間、井の頭公園 - 牟礼間を運行していた城西乗合自動車商会(1929年(昭和4年)5月20日に稲垣譲が創業[22])を買収。1936年(昭和11年)6月1日には中野坂上 - 中野駅 - 沼袋駅 - 練馬駅間を運行していた大正自動車(1925年(大正14年)3月27日に利根川久衛、飯塚宗次郎、青柳文治等が設立)を合併して現在の練馬区まで路線を拡げた。大正自動車もまた、買収当時の代表者の児玉衛一が五島とは同郷でかつ旧制松本中学校の同窓生だった繋がりがあった。
東京横浜電鉄は1936年(昭和11年)11月1日に東横乗合を吸収合併して東京市内のバス事業を直営化した。
一方、これより先現在の三鷹線(鷹64系統)の原型路線である大宮八幡 - 武蔵小金井駅間、井の頭公園 - 牟礼 間の2路線は、不採算のため1935年4月8日に東横乗合から帝都電鉄(京王井の頭線の前身)に譲渡され、帝都電鉄バスとして運行されることになった[10]。1940年(昭和15年)5月1日、帝都電鉄は同じ鬼怒川水力電気系の小田原急行鉄道に合併されるが、同年12月1日をもって旧帝都電鉄バスの2路線は運休となった[23]。なお、1941年(昭和16年)3月1日電力国家管理に伴い主業を失った鬼怒川水力電気が小田原急行鉄道を吸収合併して小田急電鉄と改称しているが、バス路線も休止中のまま同社に継承された。
1939年(昭和14年)10月1日、東京横浜電鉄は姉妹会社の目黒蒲田電鉄に合併するが、同月16日に目黒蒲田電鉄が逆に東京横浜電鉄に改称。1942年(昭和17年)5月1日、東京横浜電鉄は京浜電気鉄道と小田急電鉄を合併して東京急行電鉄に改称。「大東急」が成立した。
上述の通り、東京急行電鉄は1944年(昭和19年)5月31日に京王電気軌道を合併したが、さらに8月1日には旧・京王電気軌道の路線に接続する府中乗合自動車商会(府中 - 国分寺間。1932年(昭和7年)1月13日に千葉諒祐[24]が設立し、2月18日に開業。1935年(昭和10年)10月4日に高柳勝治[25]に譲渡)を買収して事業を吸収した。
京王では、バス事業の抜本的な経営効率化を図るため、京王帝都電鉄時代の1997年4月1日に(初代)京王バス株式会社を設立して以来、段階的分社方式により、子会社への路線移管を進めてきた[45]。
バス事業が完全に電鉄会社から切り離された現在、これらの会社は京王電鉄バスの子会社に位置づけられており、自社路線のほか京王電鉄バスからの委託路線も運行する。京王電鉄バスが運行していた高速バスは段階的に京王バス東に移管し、2018年9月3日の仙台線、飛騨高山線、長野線、松本線の移管により全面移管が完了した。
京王バス(初代)の設立以降、子会社各社では乗務員の接遇教育に力を入れており[45]、運転だけでなく接客対応をはじめ営業に関すること全般を職務とするとして、乗務員を「営業係」と称している[46]。
2020年6月9日に行われた株主総会にて、同年10月1日を効力発生日として京王バス東・京王バス中央・京王バス南の子会社3社が合併することを決議した[47][48][49]。この再編について「経営の効率を高め、経営資源の配分をより柔軟に行うため」としている[37]。合併にあたっては京王バス南が存続会社となり[47]、京王バス東と京王バス中央の2社は吸収合併されて法人を解散する[48][49]。なお本内容が発表された8月3日付の電子公告では合併後の新社名や京王バス小金井の扱いについて記載されていなかったが[47][48][49]、その後のリリースで合併後の新社名については「京王バス株式会社」とし、京王バス小金井についてはそのまま存続することが発表された[5]。そして予定通り10月1日に3社が合併し、(2代目)京王バス株式会社が発足した[37]。
その後、2022年4月1日付で京王電鉄バスが京王バス小金井を吸収合併し、小金井営業所は京王電鉄バスの営業所となった[44]。
子会社は2022年4月現在、以下の1社が営業している。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル[1] |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 |
設立 |
2001年12月17日 (南大沢京王バス株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7013401002375 |
事業内容 | 乗合バス事業/貸切バス事業 |
代表者 | 代表取締役社長 宮坂周治 |
資本金 | 8000万円 |
純利益 |
18億3,000万円 (2024年3月期)[50] |
総資産 |
77億4,000万円 (2024年3月期)[50] |
従業員数 | 1640人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄バス 100% |
外部リンク | https://www.keio-bus.com/outline/gaiyo/minami.html |
京王バス株式会社(けいおうバス)は、路線バス・貸切バス事業を行う京王電鉄バスの子会社である。2020年10月1日に京王バス東・京王バス中央・京王バス南の3社が合併して発足した[37]。
一般路線バスや高速バスの運行のほか、以下のコミュニティバスの受託運行も行っている。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 |
設立 |
1997年4月1日 (京王バス株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 1013401001069 |
事業内容 | 乗合バス事業/貸切バス事業 |
代表者 | 代表取締役 丸山 荘 |
資本金 | 2億5000万円 |
純利益 | 5億6400万円(2020年3月期)[51] |
総資産 | 32億7100万円(2020年3月期)[51] |
従業員数 | 725人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄バス |
京王バス東株式会社(けいおうバスひがし)は、1997年4月1日に京王バス株式会社(初代)として設立された最初の分離バス子会社であり、同年10月1日より調布営業所の一部路線を当時の京王帝都電鉄から譲渡されて営業を開始した。その後都区内でも、1998年10月16日より永福町営業所、2000年より中野営業所の路線の譲渡・委託を受け、段階的に分社化を進めた。最終的に3営業所の全ての運営業務を行うようになり、京王電鉄バスからの委託路線は無くなっていた。
2003年10月、京王バス東株式会社に商号変更した。世田谷営業所は高速バス・深夜急行バスのみを担当していたが、2019年10月1日より永福町営業所へ統合され、永福町営業所世田谷車庫となった。
2020年3月31日時点での車両数は376台、従業員数は699人[52]。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル[1] |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 |
設立 |
2001年12月17日 (南大沢京王バス株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7013401002375 |
事業内容 | 乗合バス事業/貸切バス事業 |
代表者 | 代表取締役 丸山荘 |
資本金 | 8000万円 |
純利益 | 1億1900万円(2020年3月期)[53] |
総資産 | 13億8900万円(2020年3月期)[53] |
従業員数 | 406人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄バス |
京王バス南株式会社(けいおうバスみなみ)は、多摩ニュータウン南大沢地区における旅客サービスの向上を図るべく、2001年12月に南大沢京王バス株式会社の商号で設立され、翌2002年4月1日に営業を開始した。その後、営業地域の拡大と子会社間の社名整合化のため、2003年10月に京王バス南株式会社へ変更した。
発足当初の管轄営業所は南大沢営業所のみであったが、2008年8月1日に多摩営業所、2014年4月14日に寺田支所(現:京王バス高尾営業所)が営業を開始した。
2020年3月31日時点での車両数は207台、従業員数は410人[54]。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル[1] |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 |
設立 | 2003年5月14日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 1013401002570 |
事業内容 | 乗合バス事業/貸切バス事業 |
代表者 | 代表取締役 丸山 荘 |
資本金 | 6000万円 |
純利益 | 2億1600万円(2020年3月期)[55] |
総資産 | 11億3600万円(2020年3月期)[55] |
従業員数 | 267人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄バス |
京王バス中央株式会社(けいおうバスちゅうおう)は、府中市を中心とする多摩地域中部を担当していた子会社であり、当初は府中営業所のみを有していた。2003年4月に設立され、同年10月に営業を開始した。2008年4月1日、京王電鉄バス府中営業所が廃止され、京王バス中央に統一された。京王電鉄バスおよび子会社各社の本社も、府中駅前から府中営業所内の本社ビルへ移転している。
2019年11月16日、京王電鉄バス桜ヶ丘営業所内に京王バス中央・桜ヶ丘営業所を開設した。
2020年3月31日時点での車両数は126台、従業員数は305人[56]。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒183-0057 東京都府中市晴見町二丁目22番地 京王府中晴見町ビル[1] |
本店所在地 |
〒206-8502 東京都多摩市関戸一丁目9番地1 |
設立 | 2004年12月10日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 9013401004452 |
事業内容 | 乗合バス事業 |
代表者 | 代表取締役 正殿 真司 |
資本金 | 2000万円 |
純利益 |
▲6800万円 (2022年03月31日時点)[57] |
総資産 |
1億7100万円 (2022年03月31日時点)[57] |
従業員数 | 65人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 京王電鉄バス 100% |
外部リンク | https://www.keio-bus.com/outline/gaiyo/koganei.html |
京王バス小金井株式会社(けいおうバスこがねい)は2004年11月に設立された。翌2005年11月、京王電鉄バスの小金井地区における路線の一部を移管されて営業を開始した。営業所は小金井営業所のみで、コミュニティバスの運行受託は行っていない(小金井市コミュニティバスは京王バス府中営業所が担当)。
新車は京王電鉄バスと同じ京王電鉄バスカラー(CIカラー)の車両が配属される。ただし他の営業所からの転属車は塗装変更されないため、京王バスカラーの車両も混在する(この点は他の営業所も同様)。
2020年3月31日時点での車両数は31台、従業員数は65人[58]。
京王電鉄バスグループの営業所は以下のとおりである。営業所ごとに固有のアルファベット1文字による識別記号があり、社番の頭に付加されている。ただし所属営業所にかかわらず、貸切車には「K」、高速車には「X」が割り振られる[59]。
子会社の京王バス(2代)は、バスタ新宿を拠点に主に中央自動車道を経由しての山梨・長野・岐阜・愛知方面や、東名高速道路を経由しての静岡方面への昼行高速バスネットワークを有する。京王は昭和30年代初頭から富士山麓方面への路線拡張に積極的で、1956年10月6日に富士山麓電気鉄道(現在の富士急行)と乗り入れ協定を結び、新宿駅 - 山中湖・河口湖間(季節運行。1965年7月から毎日運行に変更)、1959年7月5日に富士山麓電気鉄道・山梨交通との3社共同運行で新宿駅 - 昇仙峡間定期急行バスをそれぞれ運行開始した。これらの急行路線を中央道の開通後、高速道路経由に変更したのが、現在の中央高速バスである。最近では渋谷マークシティや調布駅、立川駅を起終点とした高速バス路線もいくつか新規開設している。
京王バス(初代、後の京王バス東)は、1999年10月1日に京王電鉄より諏訪岡谷線の移管を受けて以来、京王担当の多くの高速バス路線の運行を行ってきた。2006年7月14日には、富士急シティバスと共同で裾野・沼津線の運行を開始した。京王電鉄バスより段階的に路線が移管され、2018年9月3日の仙台線、飛騨高山線、長野線、松本線の移管をもって全面移管となった。運行する昼行高速路線は以下の通りである。
夜行高速バスは、1989年10月14日に新宿駅西口 - 高松駅線、1990年10月12日に当時日本最長の路線だった新宿駅西口 - 西鉄天神バスセンター(現・西鉄天神高速バスターミナル)線「はかた号」(西日本鉄道との共同運行)を開業するなど、一時は4路線を運行していた。しかし、運用効率の悪さや、他の交通機関との競争から拡張には至らず、1996年10月1日に福岡線以外の夜行路線をグループ会社の西東京バスに移管(2003年9月から2008年9月までは、さらに同社子会社の多摩バスに移管)、さらに1999年1月18日に福岡線の運行も終了(西日本鉄道が単独で運行へ)し、一時は夜行路線から撤退した。尚車齢の若い車両は座席を4列シートに改造の上中央高速バスへ転用された。
しかし、2000年代に入り、子会社の京王バス(初代、後の京王バス東)が2003年7月18日に阪急バスと共同で新宿駅西口 - 大阪梅田線を、同年12月には神姫バスと共同で新宿駅西口 - 三ノ宮駅 - 姫路駅線を相次いで開業、2006年3月31日には、京王電鉄バスが新宿駅西口 - 仙台駅 - 石巻駅間の夜行路線を開業し、夜行バスは再開の兆しを見せている。大阪線は一旦撤退したのち(前述のとおり、西東京バス→多摩バス→西東京バスに移管)相手の会社を変えて「復活」したため、「ねじれ」を生じている。また、神戸・姫路線は神姫バスが単独で渋谷 - 三ノ宮・姫路に路線を持っていたが、ツアーバスの進出による競争激化で輸送力過剰となり結局は京王・神姫担当系統を渋谷経由に変更し統合された(もとは東急バスと共同だったが、同社が撤退したため単独化)。
子会社の京王バス(2代)が以下の夜行高速路線を運行している。なお、前述の通り名古屋線にも夜行便がある。
年度 | 運行日数 | 運行便数 | 年間輸送人員 | 1日平均人員 | 1便平均人員 |
2006(平成18)年度 | 365 | 780 | 10,748 | 29.4 | 13.8 |
2007(平成19)年度 | 366 | 736 | 8,981 | 24.5 | 12.2 |
はかた号・高遠線・下呂温泉線以外は西東京バスへ移管された。該当する3路線の現況については、西東京バス#高速バス路線を参照。
空港連絡路線は、計8路線ある。
羽田多摩センター線は2007年6月1日に、成田多摩センター線は、2006年3月16日に南大沢駅発着に変わり、それに伴い、京王バス東から京王バス南に移管された。調布羽田線(若葉台系統)は2017年12月16日より京王バス東から京王バス南に移管された。羽田八王子線の空港行のみ座席指定制となっている(その他の路線の空港行も予約制だが自由席となっている)[89]。2023年3月31日をもって、八王子羽田線の運行から、京王バスが撤退(運行再開しないまま撤退)し、西東京バスと東京空港交通の2社での運行となった[90]。
深夜急行バスは6路線を運行しており、新宿駅(京王線系統)、渋谷駅(井の頭線)の終電後に運転される。平日のみ運行、土日祝日とお盆・年末年始は運休。
東京都内を営業エリアとして事業を行っている[91]。
2016年から観光バス事業が強化され、新たにプライムK(3列シート・パウダールーム付き・27席)、コンフォート(4列シート・トイレ付き・42席+補助席10席)、スタンダード(4列シート・49席+補助席11席)の2タイプの観光バス車両を配置されている。外観は高速バスとは異なり、赤とゴールドを基調にした塗装になっている[92]。
貸切バス事業者安全性評価認定制度では、2022年01月31日現在、京王電鉄バス(車両数:5両)、京王バス(車両数:36両)が★★★★となっている[93]。
京王電鉄バスグループの営業車両は、2021年4月現在、いすゞ自動車、日野自動車[注釈 4]、三菱ふそうトラック・バス、日産ディーゼル工業(現・UDトラックス)、トヨタ自動車(SORA、ハイエース)、スカニア(InterCityDD)の車両を保有している。
D | 3 | 13 | 11 |
---|---|---|---|
営業所 | メーカー | 年式 | 固有番号 |
京王電鉄バスグループの社番は以下のとおり、所属営業所・用途を表す英字1字と、5桁の数字で構成される[59]。
例えば、社番がD31311であれば
を表す。
なお2006年より、同じく京王グループの西東京バス・多摩バスもこれに似た付番方法を採用している。西東京バス#社番、多摩バス#社番も参照のこと[94]。
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一般路線車両のカラーリングは、京王帝都電鉄の発足直後から黄・赤・白の3色を用いたカラー(初代京王帝都カラー)が使われてきた。現在の西東京バスとほぼ同じカラーリングであるが、これは京王主導による3社合併で西東京バスが設立された際に初代京王帝都カラーを採用したものである。その後、京王の方がカラーリングをたびたび変更したため、西東京バスカラーとして現在も残っている。京王では1975年に、黄色地に橙色の帯の2色の簡略塗装(2代目京王帝都カラー)を採用している。
1990年6月のコーポレート・アイデンティティ(CI)導入により、アイボリーを基調に紺色とローズピンク(京王ブルー・京王レッド)のアクセントを加えた京王グループ共通塗装を制定し、京王6000系電車も帯色を変更した。このため「京王電鉄カラー」と呼ばれる。バス車両や京王自動車のタクシー車両もこの「京王電鉄カラー」を採用した。また、日野市ミニバスのレインボーRBは、当初は2代目京王帝都カラーで導入されたが、1990年のCI導入により「ミニバスカラー」が制定され、ソール・バスがデザインした京王百貨店の鳩の柄の包装紙をアレンジした、白地に3色(京王ブルー・京王レッド・水色)の羽を散らしたカラーリングとなった。
さらに、1997年に設立された京王バス株式会社(現:京王バス調布営業所)の車両は、これとは異なる白地に青色の帯にゴールドをアクセントとした塗装が採用された。以降も子会社ではこのカラーリングを採用したため「京王バスカラー」と呼ばれる。
その後は原則として、京王電鉄バスと京王バス小金井の車両が「京王電鉄カラー」、京王バス東・中央・南の車両が「京王バスカラー」で導入されてきたが、京王電鉄バスから京王バス各社へ転属した車両が塗装変更されないまま使用されることも多い[注釈 6]。2020年以降は、京王電鉄バスの車両も「京王バスカラー」で導入されるようになった。
2013年には「京王の電車・バス開業100周年」を記念し、京王帝都電鉄発足(いわゆる大東急解体)の1940年代から現塗色になる1990年代までの旧塗装を復刻したエアロスターが11台導入された[95]。その後、2015年に日野・ブルーリボンIIで復刻塗装車が4台登場した。
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一般路線車は国内3メーカーから導入している。以前は日産ディーゼル製車両の割合がやや高かったが、製造販売終了により新車への代替で徐々に数を減らしている。かつて日産ディーゼル製車両の割合が高かったのは、1995年から車両の低床化とバリアフリー対応を進めるにあたり、同社より中型長尺ワンステップ車両(JP)を一括購入したこと、および同社と共同で車椅子スロープ付き小型車両(RN)を開発し、1996年より多数導入したことによる。日産ディーゼル車は富士重工業製と西日本車体工業製車体の両方を並行して導入していたが、1999年以降は後者に一本化された。
1995年の日産ディーゼル車の一括導入開始以前は、営業所ごとに車両メーカーを指定しており、日産ディーゼル車は導入していなかった。同年以前の各営業所の車両メーカー指定は以下のとおり。
1995年からの全社的な日産ディーゼル車の大量導入によりこの法則が崩れ、営業所を問わず車種の均一化が進むことになった。[注釈 7]
日産ディーゼル車の第一弾は1995年投入の中型長尺ワンステップバスU-JP211NTN42台であり、このうち中野、永福町、調布に配属された均一区間用の12台は都内路線バス初となる西日本車体工業製車体を採用[96]、58MCのB-I型でありながら日デオリジナルボディのバンパーを組み合わせた独特の風貌となった[注釈 8]。
1998年夏には日産ディーゼル製の大型ノンステップバスを一挙に22両投入、中野、永福町、府中の各営業所に配属した。2002年と2003年には永福町営業所にUAのCNG車を導入した。最後に導入された日産ディーゼル車は、2008年のJPとスペースランナーRAであり、2009年はJPのOEM車種であるエアロミディ-S (AJ) を導入している。
日産ディーゼルが2011年3月までにバスの製造販売を終了したため、以降は全て他3メーカーから導入されている。なお西東京バスでは、日産ディーゼルのバス製造販売終了後もいすゞ車が導入されているが、一般路線用の三菱ふそう車は2014年まで導入がなかった。
三菱ふそう車は、エアロスター、エアロミディなどを導入している。大型車は日産ディーゼルの製造販売終了直後導入が増えた。中型長尺車(エアロミディMK、10.5m車)は、レインボーHRなどと同時期に複数配置されている。中型車(9m車)は、日野車がメインであることや一時期販売終了していた影響もあって導入していなかったが、販売再開後に複数台導入し、その後は再び販売終了したため導入が途絶えた。
いすゞ車は、中型車のいすゞ・ジャーニーKに続き、2000年にエルガミオが2両導入されて以来しばらく導入されておらず、2012年11月までに全て除籍されていったん消滅したが、2013年8月に永福町営業所にエルガハイブリッドが納車され、いすゞ車の購入が再開された。モデルチェンジ後(LV290系)は、エルガが府中、南大沢、桜ヶ丘、高尾に、エルガミオは府中、永福町に導入されている。
日野車は、かつて日野が指定メーカーだった中野・八王子の両営業所で、中型長尺ノンステップバスの日野・レインボーHRをまとめて導入した。中型車(RJ系、9m車)も4枚折戸仕様で細々と導入していたが、RJ系・HR系とも全車除籍された。日産ディーゼル・RNの代替として、エルガミオの統合車種となったレインボーII(KR系)を多数導入したため中型車の主力となっている。大型車はブルーリボンシティとなったモデル以降は導入されていなかったが、いすゞのOEMとなった後に2006年度よりブルーリボンIIを導入開始し、モデルチェンジ後のブルーリボン(KV290)となった以降も継続導入している。日産ディーゼルのバス事業撤退後は、八王子営業所では再び日野車が主力となっており、中野営業所や多摩営業所、桜ヶ丘営業所には、2019年より、ブルーリボンハイブリッド(HL系)が導入されている。
コミュニティバスは、1986年より日野市ミニバスの運行を開始し、その後全国的に発展したコミュニティバスの先駆けとなっている。このミニバスでは日野自動車が開発した全長7m、全幅2.1mのリヤエンジン小型バスである日野・レインボーRB(U-RB2WGA)を採用した。その後も後継車種のリエッセやポンチョが、主にコミュニティバス用として導入された。2009年9月27日から運行開始した新宿WEバスには、日野・レインボーIIを天窓を設置した独特なデザインに改造して投入している。2011年12月1日からは新都心循環線も新宿WEバスに組み込まれ路線が拡大されている。2016年7月29日からは映画『シン・ゴジラ』公開にあわせて、ゴジラのラッピングを施し降車ブザー音をゴジラの雄たけびに変更した「ゴジラバス」も運行開始した。
2020年には京王バスで初となる燃料電池バスのトヨタ・SORAを多摩営業所に2台(J22001・J22002)導入、同年7月より多摩市内(多摩センター駅・永山駅・聖蹟桜ヶ丘駅周辺)で運行を開始した[97]。これは多摩地域で2番目となる水素ステーション「TKK水素ステーション」が多摩市内に開業[98]したことを受けての車両導入となる[99]。
2021年には、京王バスでは初となる連節バスを2台導入、同年4月5日より八王子営業所と高尾営業所で運行開始された[40][41]。車種は日野・ブルーリボンハイブリッド連節バスで、両営業所に各1台(C22101・T22102)配置される。さらに同年9月17日のニュースリリースで、10月1日より新路線として052系統(渋谷駅 - 新宿駅西口 - 新橋駅)を運行開始[100]、燃料電池バスで運行すると発表した[100]。運行は永福町営業所が担当する[100]。ただしニュースリリースでは燃料電池バスの増備については言及されていない[100]。
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京王バスの特徴的な仕様としては、以下のような点が挙げられる。
過去の特徴的な車両としては、高速・路線兼用車「ワンロマ」が挙げられる。詳細は中央高速バス#高速・路線兼用車「ワンロマ」を参照のこと。
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高速路線車・空港連絡車は三菱ふそうトラック・バス、日野自動車の2社から導入していたが、2016年よりいすゞ・ガーラ、2020年よりスカニア・アストロメガが導入されている。
以前は夜行高速バスや長距離路線にはスーパーハイデッカー車が導入されていたが、現在はダブルデッカーのアストロメガを除きハイデッカー車に統一されている。カラーリングは、三菱ふそう・エアロクイーンM導入時に採用された白地に赤と茶の波形ラインの入った「高速バスカラー」が、西東京バスや京王自動車(側面のロゴは異なる)も含めて現在まで採用されている。
名古屋線、大阪線、神戸姫路線には原則として独立3列シート、仙台・石巻線と長野線の一部には3列シート(2列+1列)車両がそれぞれ使用されている。そのほかの路線には、4列シート車両が使用されているが、伊那飯田線、松本線、長野線、名古屋線、静岡線、浜松線の一部にパウダールーム付き車両を投入している。また、松本線には、シート幅の広いSクラスシートも付いた車両も投入している。4列シート車では車両により座席数(34、36、38、42席)、補助席(有り、無し)、ドア(折戸、スイング)などの違いがある(エアロエースは全車スイングドア)。ちなみにSクラスシート付きシート車は前方にSクラスシート4席+4列シート30席の34席車でパウダールーム付き、36席車もパウダールーム付き、38席車は補助席無しとなっている。
高速バスでは2010年から、一般路線バスでは2012年からWi2 300(ワイヤ・アンド・ワイヤレス)の公衆無線LANアクセスポイントを車両に搭載している[101]。一般路線についてはau Wi-Fi SPOT[102]やdocomo Wi-Fiも利用できる[103]。
深夜急行バスは、世田谷営業所の担当路線には高速路線車が使用される。調布営業所の担当路線にはエアロスターのワンロマ車(ワンステップ仕様)が使用され、昼間は一般路線に充当されている。調布営業所のワンロマ塗装は「京王バスカラー」を高速バスカラー風にアレンジしたもので、波形ラインの赤が青になり、下部が一般路線車と同じ茶色となっている。車内はハイバックシート(リクライニングはしない)で、シートモケットの柄もワンロマ専用となっている。
空港連絡バスでは、2016年12月10日から、多摩センターにあるサンリオピューロランドと京王バス南のコラボレーション企画として、多摩地区(南大沢)と羽田空港を結ぶ路線にサンリオキャラクターがラッピングされた「サンリオピューロランド号」を運行している。さらに2017年7月7日から、同コラボ企画第2弾として、多摩地区(南大沢)と成田空港を結ぶ路線でも「サンリオピューロランド号」の運行を開始した。同号の車両は外観だけでなく内装や案内放送なども特別仕様となっている。第1弾では、三菱ふそう・エアロエース1台を転用改造しピンク色ベースのラッピングを、第2弾では、日野セレガ(ハイデッカー)の新車1台に水色ベースのラッピングをそれぞれ施している。
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観光バスは、2016年から観光バス事業の強化により、外観が高速バスとは異なった赤とゴールドを基調にした塗装の専用車両が用意され、高速バスから転用改造されたプライムK仕様の三菱ふそう・エアロエースと新車で投入されたコンフォート仕様及びスタンダード仕様の日野・セレガ(ハイデッカー)及びいすゞ・ガーラ(ハイデッカー)が存在する。プライムK仕様の三菱ふそう・エアロエースについては2018年に再び高速バスに転用されている。2018年には車椅子対応リフト付き観光バスも1両導入されている。高速バス繁忙日には観光バスも高速バスに投入される。
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京王電鉄バス(系列の西東京バスを含む)で役目を終えた車両は全国の地方事業者に譲渡されているが、以前は東急バスや小田急バスなどのように全国の広範囲に譲渡されてはいなかった。
しかし、2000年以降に東京都を含む首都圏が自動車NOx・PM法による特定区域に指定されたことなどから地方への譲渡が増加し、系列の西東京バスを含めて、茨城交通や福島交通などのみちのりホールディングス傘下の事業者をはじめ、全国各地に譲渡されている。1995年以降に大量導入した日産ディーゼル・JPおよびRNワンステップ等を皮切りに、近年はJPやRMを中心に、レインボーHR系やエアロミディMKなどが地方の事業者に移籍している。
また、一部の車両はミャンマーなど海外へも輸出されている。
2023年9月16日現在。
2014年に京王バスの公式キャラクターが誕生した。バスの形をした双子のキャラクターである。このキャラクターの愛称は公募により「ピンポン」と「パンポン」に決定した。これには車内ブザーの「ピンポン」と、車内放送で流れる「ピン・ポン・パン・ポ~ン」の覚えやすくなじみやすい意味が込められている。「ピンポン」は京王電鉄バスのカラー(アイボリーに赤青ライン)、「パンポン」は京王バスのカラー(白と青)である。着ぐるみの形で様々なイベントに参加して京王バスをPRしている。ゆるキャラグランプリにも出場している。
2020年12月18日、UR都市機構が東京駅八重洲口付近に取得を予定している八重洲バスターミナル(仮称)の運営事業者を京王電鉄バスに決定[104]。さらに、2022年3月15日には正式名称「バスターミナル東京八重洲」が発表され、第1期エリアの開業日が同年9月17日であることも公表された[105][106]。