人名訓(じんめいくん)は、日本人の人名に用いられる漢字のうち、人名用に宛てられた常用漢字や人名用漢字の特殊な訓読を指す。名乗り訓(なのりくん)ともいう[1]。多くの漢字辞典では音読、訓読とは別で読みを記載している場合があり、また人名専用の漢字辞典も存在するが、読みに際して厳密な法規制はないため(あまりにも本来の意味から逸れたり、甚だしく人名に適さなかったりすると、役所職員らの判断で許可を出さないことがある)、その多くは字意を反映したものとなっているものの、半ば慣習的な宛字となっている。
ゆえに日本人の人名は時に難解な読みとなり、「振り仮名」がないと正しく姓名が呼ばれなかったり、個人認証で支障が出たりすることがある。そのため、一部の機関などでは漢字を用いず、あるいは漢字と併用して振り仮名やローマ字を使わせることが多い。
また、この人名訓が苗字や地名に用いられる例も多く見られる。
以下では常用漢字、及び人名用漢字において一般的に知られる人名訓について、字意の解説と類例を挙げる。一般的な訓読については言及していない(まこと→誠など)。
「明るいもの」「かがやくもの」という意味を持つ字が宛てられ、字義・字訓にならい「あきらか」とするものもある。また、「菊」などの様に比喩的な存在・形容の字に対しても宛てられていることがある。
なお、「秋」の様に人名訓のリストに「あきら」とありながら、字義的では全く無関係であることから人名に用いた事例が現状ではほぼ皆無という状況にあるものも存在する。
物事にあたる(あてる)という意味の字が宛てられる。
(真心が)あつい、誠実だという意味の字が宛てられる。
(温度が)あつい、もしくは熱気を持つという意味合いを持つ字が宛てられる。
物事を集める、もしくは集まるという意味の字が宛てられる。
紋様や鮮やかさに関する意味の字が宛てられる。また、“言葉の「あや」”という意味でも「文」が人名訓における宛て字として使用される場合がある。
主に「新しい」「改める」の字義・字訓の字に宛てているものに大別される。「荒」は字訓「荒い」から、「嵐」は固有の字訓(国訓)「あらし」から。
「濃淡が薄い」ことから由来したものとしている。なお、「淡」は我が国に元からあった旧令制国もしくはその由来とする兵庫県の島からの類推・転用で「あわじ」を人名訓にする場合がある。
主に「いさお」「いさみ」「いさむ」からの仮借・転用として用いるものに宛てられる。また、「沙」「砂」は固有の字義「いさご」から由来。
水の出る場所が本来の意味。但し、日本的類推[3]で「和」が宛てられる[4]。
(物事が)行き届く、行き着く、またはある時点・時間に到達する意味の字が宛てられる。
主に「至」に関する偏旁構成の漢字にはほぼすべて付けられる傾向にある。また、類義(もしくは同義)とする「およぶ」の字訓を持つ字に対しても宛てられるものがある。
また、意味合いでの関係上「ゆき」の人名訓に転用する場合もある(人名訓として正式に認められている字も多い)。
(物事に)いれる、はいるという意味の字が宛てられる。字訓から宛てる字が圧倒的に多い。
起き上がるという意味の字が宛てられる。
(物事を)おさめる、または直す、正すという意味の字が宛てられている。
数や計算にかかわる字意の字が多く宛てられる。
意味的な共通性は特に無い[5]。但し、「かなみ」「かなう」「かのう」「もと」など、転用・派生例は多い。
主に物事の中心という意味を持つ字について宛てている。
但し「鼎」(前述)の様に固有の字訓「かなえ」からの転用で宛てられたものもある。
主に物事のきっかけになること(もしくはそれ自体)を意味する字に宛てられる。
また、「兆」「占」のように「はじめ」(「紀」等の「いとぐち」も同様)への派生を成す字もある。
「きよらか」という字意の字が宛てられる。
「きよらかにする」という字意の字(上記の動詞化したもの)が宛てられる。
主に国家・領域に対して指すものと、「曲がる」からの派生例として宛てられたものとに大別する。
本来は「これ(それ)~」「この(その)~」という助詞的な使い方をする字に対して宛てられている。
「すこやか」「さわやか」という意味・字訓を持つ字が宛てられる。
さだまっている、守るという意味の字が宛てられる。
生い茂る、または程度が甚だしいという意味の字が宛てられる。
示す、占める、締めるという意味の字が宛てられる。
主に「すえる」「あと(のち)」等の意味を持つ字に宛てられる。「季」の「すえ」は兄弟関係を指す四字熟語「伯仲叔季」に由来。
主に進捗・進行・移動などの「すすむ」、勧誘・献上などの「すすめる」の2つに大別する。
すみきった、もしくは物事が終わった(物事を終わらせた)という意味の字が宛てられる。
天空・大気・空中・宇宙など、主に気象学や天文学(これらの比喩的表現に関するものも含む)に関する意味合いの字に宛てられている。このため、単体での用例が殆どである。
尊い、恭しいという意味の字が宛てられる。
また、単に高低差などの関係で字訓・字義から人名訓に転用された字も多い。
猛々しい、雄々しいという意味の字が宛てられる。
上記の意味を動詞化したものに宛てられる。
ほめる、もしくは(液体・感情を)いっぱいに満たすという意味の字に宛てられる。大抵は同様の字訓を持つ字に宛てる。
まっすぐな、忠実なという意味の字が宛てられる。
上記の意味を動詞化したものに宛てられる。
主に契約の意味を持つ字に宛てられる。
主に距離的概念等(派生もしくは比喩表現も含む)の意味を持つ字、親近性としての意味を持つ字、契約・盟約といったいわゆる「誓(ちか)い」の意味・字訓を持つ字の3つに大別される。
製造・制作・作成等に関する字に幅広く宛てられる。
主に紡績に関する用法で用いる、いわゆる職業的な意味合いの強い固有の人名訓である。また、前者の「紬」(琴吹紬など)を除き、「つむぐ」という動詞的意味合いを持つ字にはこの形式で用いる場合がある。
強烈な、強靭な、強固な等のいわゆる「強い」という意味で宛てられる。
「あき」と同様にかがやくという意味の字が宛てられる。
程度・場所が遠いこと、はるか遠いという意味の字が宛てられる。
「(経路・経歴などを)通る」「道をたどる」「透き通る」といった意味の字に広く宛てている。
年月(主に時期)の意味を持つものが宛てられる。また、「ほぐす」「ほぐれる」など形容的表現を持つものにも宛てられることがある[6]。
“はやい”というニュアンスを持つものと、単に年月を宛てたものが見られる。
なお、年月に宛てたものに関しては、「ちとせ」の様に(人名訓の)読み方が変わる場合がある。
友人、仲間、伴侶という意味の字を宛てている。また、合わせる等の類義的字訓・字義を持つ字に対して宛てたものもある。
点火(火をともす)という意味を持つ字に宛てている。
まっすぐな、あるいは「なお~ごとし」という意味の字を宛てている。
主にまねる、あるいは学ぶといった字義・字訓を持つものにこの人名訓が宛てられる。
主になごみ、あるいは閑散・有閑という意味で宛てている。
伸びゆく、あるいは述べる、広げる、広めるという意味の字を宛てている。
“決まりにしたがう”“伝える・告げる”“(物事に)乗る”“(物事が)みのる”といった、さまざまな意味合いを持つ字に幅広く宛てられている。
また、「のっとる」等の字訓・字義を持つものを中心に「のりと」「のりし」と仮借・転用することがある。
物事を始める、もしくはその始まりという意味の字を宛てている。
原則、物事の初めという意味の字を宛てる。このことから「はじめ」から仮借・転用した字訓・字義を持つことを前提としているため、該当している以下の2字が人名訓として正式採用されている。
早く吹く風(=疾風)の意味を熟字訓「はやて」で宛てている。現在、以下の字のみの固有の人名訓として用いられる。
晴れる、遠い(「はるか」の転用)、物事をおさめる(「おさむ」の転用)、という意味の字を宛てていることが多い。また、はり付ける(はり付く)の意味を持つ字を宛てているものもある。
ちなみに、「春」の字訓「はる」は季節の「はじめ」から由来したとする説がある。
はるか遠いという意味から由来している。
久しい、年月という意味の字を宛てている。
「等しい」「同じ」「整う(整える)」等の意味で広く宛てている。
本来は「日に当たる場所」の意味を持ち、基本的に類推で宛てている。
色々な意味で広いというニュアンスの字を宛てている。
広げる(広がる)、広める(広まる)という意味の字を宛てている。
文章・文書・史実などに関する意味の字を宛てている。
また、「文」には「ふみし」、「史」には「ふひと(ふみと・ふびと)」といった独自に派生形の用例を持つものも存在する。また、「冊」「札」には「ふだ」の意味を持つことからその比喩的表現としてこの人名訓が与えられた字もある。
上記の派生例。人名訓で正式採用されたことは無いものの、主に字義に由来したものに宛てられる。
主に樹木を由来とするものにこの人名訓が宛てられている。
なお、単体で「みゆき」の人名訓を持つ「幸」が省略・字源等の理由でこの人名訓が与えられた経歴がある。
主に道路・進路・進行・導き(※引率・牽引など含む)など、幅広く道に関係・連想する字に多く宛てている。