いまい まさゆき 今井 雅之 | |||||||||||
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生年月日 | 1961年4月21日 | ||||||||||
没年月日 | 2015年5月28日(54歳没) | ||||||||||
出生地 | 日本・兵庫県豊岡市(旧:城崎郡日高町) | ||||||||||
死没地 | 日本・東京都 | ||||||||||
身長 | 178 cm[1] | ||||||||||
血液型 | O型 | ||||||||||
職業 | 元自衛隊員・俳優・演出家・脚本家・エッセイスト | ||||||||||
活動期間 | 1986年 - 2015年 | ||||||||||
活動内容 | 演劇・映画・ドラマ・講演会 | ||||||||||
配偶者 | あり | ||||||||||
事務所 | オスカープロモーション(最終所属) | ||||||||||
公式サイト |
今井雅之の押忍! オスカープロモーション | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
演劇 『THE WINDS OF GOD』 映画 『静かな生活』 『THE WINDS OF GOD』 テレビドラマ 『お金がない!』 『味いちもんめII・京都編』 『ギフト』 『お見合い結婚』 | |||||||||||
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今井 雅之 いまい まさゆき | |
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生誕 |
1961年4月21日 日本・兵庫県豊岡市 |
死没 |
2015年5月28日(54歳没) 日本・東京都 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
軍歴 | 1980 - 1981 |
最終階級 | 陸士長 |
除隊後 | 俳優 |
今井 雅之(いまい まさゆき、1961年(昭和36年)4月21日 - 2015年(平成27年)5月28日)は、日本の元自衛隊員・俳優・演出家・脚本家・タレント・エッセイスト。兵庫県豊岡市出身。代表作は自身が「自分の魂」と形容している神風特別攻撃隊が主題の演劇・映画『THE WINDS OF GOD』や、自身の出身地で撮影した初監督映画作品『SUPPINぶるうす ザ・ムービー』など。最終所属先はオスカープロモーション。
幼い頃から映画(特に洋画)やテレビドラマが好きだった。特に千葉真一の熱狂的なファンで[2][3][4][5][6]、テレビドラマ『キイハンター』に影響され、友達と『キイハンター』ごっこで遊ぶ時には千葉に扮していた。
兵庫県立豊岡高等学校卒業後、俳優になろうと志すが、俳優になりたいのであれば自活するよう自衛官の父に言われ、1980年4月陸上自衛隊に一般曹候補学生で入隊。同年12月滋賀県今津町の第3師団第3戦車大隊(今津駐屯地)に配属。上官に俳優になりたいため辞めたい旨を告げ、「自衛隊は俳優養成所ではないぞ」と叱られる[7]。1981年9月、陸士長で自己都合退官。1986年3月法政大学卒業[8]。
1986年奈良橋陽子演出『MONKEY』にて演劇デビュー。1988年に特別攻撃隊が主題の演劇「リーインカーネーション」の初演、これは後に今井のライフワークともいえる『THE WINDS OF GOD』に発展していく。映画『静かな生活』のストーカー役で1996年日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞。当初奈良橋の主宰するアップスアカデミーに所属していたが、『THE WINDS OF GOD』のニューヨークオフ・ブロードウェイ公演が頓挫したことに端を発する事務所とのトラブルから独立。1997年、エル・カンパニーを立ち上げる[9]。1998年幾多のトラブルに見舞われながらも、オフ・オフ・ブロードウェイで公演、成功を収める[要出典]。
2008年2月1日、エグゼに移籍。エル・カンパニーは今井の著作権管理会社として存続する[9]。
2009年10月1日、オスカープロモーションに移籍[10]。
2014年末に腸閉塞のために体調を崩し医師から「余命3日」を宣告され緊急手術を行い、術後には回復した事をブログで報告[11]。
2015年4月21日、ブログにて、大腸癌のため、主演舞台『THE WINDS OF GOD』を降板することを発表[12]。同年4月30日には記者会見を開き、3月から入院中で、抗がん剤治療をしており、「ステージ4」の末期ガンであることを明かした[13]。長らく健康診断を受けていなかったこともあり、発見時には既に手の施しようのないほど病状が悪化していた。舞台そのものは降板したものの、新国立劇場公演千秋楽の5月5日にはステージに登壇し、舞台挨拶を行い復帰への思いを語った。[14] しかし、その顔立ちや体からして明らかに痩せこけており、別人のような姿になっていた。その挨拶から23日後の5月28日午前3時5分、入院先の病院で家族に看取られながら死去した[15][16]。54歳没。通夜・葬儀は本人の意向から、地元にて近親者のみの密葬で行われた[17]。
今井の憧れで映画『THE WINDS OF GOD』でも共演している千葉真一は「無念という言葉がピッタリだ。いつも一緒に飯を食うと『俺たちが映画界を引っ張っていかないと』と話をしていた。あのくらい燃える若者が今いるのかな。俺は大好きだった」と偲んだ[4][5]。今井がファンだったアグネス・チャン[18]、演劇仲間の別所哲也と川平慈英[19]、舞台で共演し今井が慕っていた梅沢富美男[17]、ドラマの夫婦役で何度も共演した田中美奈子[5]、酒井法子[20]、病気で降板後の代役を務めた重松隆志[18]、ミッツマングローブ[18]、黒田アーサー[18]、ラサール石井[18]、武田梨奈[18]、坂上忍[21]、勝俣州和ら[22]、生前の多数の共演者や仕事での関係者からマスコミ、公式サイト、SNS、事務所を通しての声明などを通して、その死を悼むコメントが発表された。葬儀では生前の仕事での関係者から多数の献花がなされた[17]。
同年7月15日、映画『戦国自衛隊』の大ファンである今井が続編となるシナリオを約20年前に執筆していたことや、2001年には同作のプロデューサーである角川春樹と映画化の話も進んだが、角川の問題で頓挫していたことが明るみに出た[23]。
翌16日にお別れ会が都内でしめやかに営まれた[24]。祭壇はイメージカラーで大好きだった赤を基調にユリ・バラ・カーネーション・胡蝶蘭など計3,005本の花と、中心の遺影は舞台『THE WINDS OF GOD』の写真[25][26]。棺桶には靴、闘病中に届いた励ましの手紙、千羽鶴が納められた[25][26]。戒名は「雅風徹信居士(がふうてっしんこじ)」[25][26]。弔辞は千葉真一と奈良橋陽子が読み上げた[24][27]。千葉は、その熱い一面[24][26][27]、映画作りを「カブトムシ捕りと一緒だ」と例えていた様[24]、撮影時の在りし日の姿に思いを馳せ[24][26]、「ハリウッドで共演したかった[24][26][27]」と、その死に悔しさをにじませながら「(一緒に仕事できたことで千葉自身も)成長できた」と感謝を込めていた[24][26]。奈良橋は、今井が主演予定だった映画『手をつないでかえろうよ』は2016年5月の一周忌に全国を回れるよう頑張る[27]、「(今井が)書いたもの、演出したもの、魂はみんなの中に生き残る」と訴えていた[24]。同会には梅沢富美男、金山一彦、橋本マナミ、池谷幸雄、池谷直樹、大和田伸也、入江慎也、なだぎ武、酒井法子、マイケル富岡、麻丘めぐみ、井戸田潤、岩城滉一、アグネス・チャン、竹内力、宮川大輔、渡辺裕之、陣内智則、中居正広ら著名人・関係者600人が参列した[24][25]。
身長178cm。スリーサイズはB102・W85・H99。空手道弐段、柔道初段。銃剣道初段[1]。
千葉真一[4][5][6]、アグネス・チャン[18]、の熱心なファンで[4][5][6][18]、自身のブログやテレビ番組で度々公言している[2][3]。
料理が得意。売れない時代にラ・ボエム1号店(原宿店)に7年間勤める。自衛官時代の癖で大声で客の注文を復唱し、店長の顰蹙を買い調理に回される[28]。
愛車は2014年春に納車されたばかりのジャガー・XJであった。
日本文化チャンネル桜の賛同者であり[29]、神社本庁や日本会議、靖国会館などでの講演会や神社新報でのインタビューなどで特攻隊を「武士道精神に溢れる」と語るなど、保守系文化人としての側面を見せるとともに、『THE WINDS OF GOD』公演の最後には涙ながらに「NO MORE WAR!」と叫ぶなど、反戦への意志も強い。
大学受験時、入学した法政大学の他、青山学院大学文学部にも合格し、当時読売ジャイアンツの江川卓のファンだったこともあり、江川の出身校でもある法政大学を選択したが、入学して男子学生のあまりの多さに、当時の今井に華やかなキャンパスライフに映った青学を蹴って入学したことを後悔したこともあったという[30]。
大学生の時、自分の限界を知るために、様々な挑戦を行った[31][32]。テントや寝袋を持たず、全て野宿である。