伊澤 一葉(いざわ いちよう、1976年7月4日 - )は、日本のピアニスト、キーボーディスト、ボーカリスト、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。本名は伊澤 啓太郎(いざわ けいたろう)。自身が中心となって結成したバンド・あっぱでは本名の「伊澤啓太郎」を、ソロを含むそれ以外の活動ではメジャーデビューとなった東京事変での名義「伊澤一葉」を使用する。愛称は「わっち」、「ざわこ」。
ピアノ弾き語りのソロシンガーや自らがフロントマンを務める「あっぱ」のピアノボーカルとして活動するほか、細美武士率いる「the HIATUS」にキーボーディストとして参加している。椎名林檎率いる「東京事変」では鍵盤楽器全般とギター、コーラス、そして曲によってはリードボーカルも担当。
ソロやバンドとしての活動のほか、セッション・ミュージシャンとして片平里菜、吉澤嘉代子、柴咲コウ、由紀さおり、大橋トリオ、土岐麻子、CHARA、salyu、坂本真綾、aiko、米津玄師などのアーティストのレコーディングやライブをサポートし、コンサートツアーではバックバンドのメンバーとしてピアノやキーボードを演奏している。また他のアーティストへの楽曲提供や編曲・プロデュースも行う。
ロックとジャズを核としたアプローチから生み出す多角的な楽曲と独特の世界観を持つリリックセンス、クラシックの教育を受けた端正なソングライティングを特長とする[1][2]。
父親は岡山県を中心にチェーン展開する文具やOA機器の卸売り企業クラブン株式会社の社長である伊澤正信[3]。また当時、小学校へ提供した楽曲「木の葉のお金使えます」の制作中だったということもあり、表記は「一葉」となった。椎名林檎からは「心十(しんじゅう)」など複数の名前を提案されたものの、それらを拒否して自ら名付けた。
NAMやあっぱなどの自分のバンドやソロ活動では自身でリードボーカルを務める。東京事変では多くの楽曲でコーラスを担当するほか、「某都民」「SSAW」(アルバム『娯楽 (バラエティ)』収録)では椎名林檎とのデュエットや椎名と浮雲との三重唱でメインボーカルを務めている。「怪ホラーダスト」(ミニアルバム『color bars』収録)では初めてソロでリードボーカルをとった。
繊細かつ正確でミスタッチのほとんどない演奏スタイル。演奏には多くの楽曲でグランド・ピアノを始めとするアコースティック系の鍵盤楽器を用いることが多いが、東京事変の4thアルバム『スポーツ』の制作において意識的にシンセサイザーなどのデジタル系サウンドを多く取り入れた音作りにも取り組み、キーボーディストとしてのスキルの幅を広めている。
楽曲においてはロックやジャズ、ポップス系のサウンドアプローチを多く取り入れている[1]。ジャズ系アプローチについては、音楽大学自主退学後に、ジャズ・ピアニストの南博から教えを受けている。
伊澤のピアノについて、SEKAI NO OWARIのSaoriとゲスの極み乙女。のちゃんMARIは、ポップソングにもかかわらずサビのメロディーにものすごく細かくピアノを入れたり曲にクラシック的なフレーズを数多く取り入れてそれをポップスに上手く落とし込んだりしていることに衝撃を受けたと語っている[4][5]。
ギターには洋楽ロック的要素が皆無で、BUCK-TICKやBOØWYなどの邦楽ロックから影響を受けている[6]。
東京事変では、2006年のライブツアー「"DOMESTIC!" Just can't help it.」においてギター演奏を初披露[注 2]。その後もレコーディングやライブでたびたびギターを演奏し[注 3]、リードギターを担当したりギターソロを弾いたりすることもある[注 4]。
大橋トリオのツアーではベース演奏を披露することもある。
1976年、岡山県倉敷市にて誕生。4歳からピアノを弾き始める[1]。中学2年生の頃からギターを始めると共にバンド活動を開始、高校時代からはボーカルも務めるようになる[7]。
1996年、一浪の後に国立音楽大学作曲科に合格。入学と同時に上京し、新たなバンドと共に作曲活動も行う[7]。しかし、"勉強して作曲できる"ということに疑問を持ち始め、2年で大学を中退。大学を辞めた後、PE'Zのヒイズミマサユ機とバンドを組むが、3か月ほどで解散。当時は僧侶のような坊主頭で、赤い照明だけの深紅に染まった部屋でグランドピアノと共に生活していた。
- 1998年
- 伊澤の呼びかけによりバンド「NAM」を結成。メンバーの脱退と加入を繰り返しつつも定期的にライブ活動を行う。
- 2003年
- 「NAM」活動休止。ソロ活動に入る。その後もバンド名・ソロ名義を頻繁に変えながらも音楽活動に専念。
- 2004年
- 2005年
- 初夏、友人のヒイズミマサユ機の紹介で顔見知りだった椎名林檎に誘われ、ヒイズミの後任として椎名率いる「東京事変」にキーボード担当として加入[注 6][7]。本格参加は2ndアルバム『大人 (アダルト)』のレコーディングからで、すぐに楽曲提供や編曲を行う[注 7]。しかし初めてメンバー全員が揃う日の前日に腱鞘炎が悪化したため同時録音に参加できず、1か月遅れで一人で演奏したものをあとから音源に重ねている[10]。
- 12月、椎名林檎の公式ファンクラブ限定イベント「第1回林檎班大会 アダルト・オンリー」に東京事変のメンバーとして参加。しかし腱鞘炎のためピアノが演奏できず、パーカッションで参加した。
- 2007年
- 2009年
- 2011年
- 2012年
- 2月29日(閏日)、所属していた東京事変が解散。
- 10-12月、大橋トリオのカルテット編成ツアー「ohashiTrip」に、元東京事変のバンドメンバーだった長岡亮介(浮雲)とともにサポートで参加[12]。
- 2013年
- 前任のキーボーディスト・堀江博久のグループ離脱に伴ってthe HIATUSの正式メンバーとなり、楽曲制作にも参加するようになる。
- 3-4月、Charaのレコ発ツアー「Chara Live Tour2013 "Cocoon"」にバックバンドのオーロラバンドのメンバーとして参加[注 8][14]。
- 2014年
- 3-5月、大橋トリオの全国ツアー「ohashiTrio HALL TOUR 2014」にサポートで参加。
- 9月13-14日、音楽プロデューサー矢野博康の企画によるライブイベント「YANO MUSIC FESTIVAL 2014」で、ステージの演奏を務める「矢野フェスバンド」に参加[注 9]。
- 12月20日、土岐麻子のソロ10周年公演「TOKI ASAKO 10th ODYSSEY ソロデビュー10周年 感謝祭!! どこにも省略なんてなかった3952days」にサポートで参加。
- 2015年
- 5月、吉澤嘉代子の全国ワンマンツアー「吉澤嘉代子 箒星ツアー'15」にサポートで参加。
- 7月13日、震災復興ライブイベント「Journey back Home『こころの旅』2015」に参加[注 10]。
- 2016年
- 1月、バンド「katsina session(カチナセッション)」始動。
- 1月30日、大学時代からの付き合いの渡辺シュンスケ(Schroeder-Headz)の主催する渡辺シュンスケ生誕祭「シンシュンシュンチャンショー2016」に出演[17]。
- 4-6月、大橋トリオの全国ツアー「ohashiTrio 2016 TOUR 〜10 TEN〜」に再び長岡亮介とともにサポートで参加。
- 5月28日、ロック・フェスティバル「VIVA LA ROCK 2016」にさまざまなボーカリストを迎えて日本のロックアンセムをセッションするスペシャルバンド「VIVA LA J-ROCK ANTHEMS」のメンバーとして参加[注 11]。
- 8月29日、Salyuの自主企画ライブ「Salyu Live 2016 Sonorous Waves」の対バン企画で、Salyuとゲストの片平里菜のどちらともツアーでの共演経験があることから、両方のサポートを務める[19]。
- 9月24日、野外ライブイベント「GAMA ROCK FES 2016」に「Journey back Home『こころの旅』in GAMA ROCK」として出演[注 12]。
- 12月4日・12日、柴咲コウのアコースティックライブ「Ko Shibasaki billboard Acoustic Night」にサポートメンバーとして出演。
- 12月31日、第67回NHK紅白歌合戦に出場する椎名林檎のバックバンドのメンバーを務める。
- 2017年
- 2020年
- 2021年
- NAM
- あっぱを結成する前に率いていたバンド。東京事変の「手紙」(アルバム『大人 (アダルト)』収録)と「生きる」(アルバム『スポーツ』収録)は、それぞれNAM活動の頃に作曲された楽曲「umareku」と「フリーター」が原曲である。
- あっぱ
- バンドの大黒柱的存在であり、ピアノ・ボーカルを務めるほか、楽曲の作詞・作曲も行う。本名の伊澤啓太郎として活動。
- 東京事変
- 前任の鍵盤奏者H是都Mの脱退に伴い、2005年にギタリストの浮雲と共に加入した。ピアノやキーボードなどの鍵盤楽器全般を担当するほか、ギター、バッキングボーカルと一部の曲ではリードボーカルも務める。楽曲制作では作曲や編曲の他、一部の曲では作詞も行い、アルバム『大人 (アダルト)』以降のバンドの一翼を担う[1]。伊澤一葉名義で活動。
- the HIATUS
- 2009年からツアーメンバーとして加入。当初は一部のライブにのみ参加し、普段のライブやレコーディングは堀江博久が担当していた。しかし2012年の堀江の脱退に伴い、翌2013年よりレコーディングメンバーとしての活動も開始、楽曲制作にも加わるようになる。曲作りではボーカルの細美武士とドラムの柏倉隆史との3人で中心となる部分を作り、残りのメンバーを含めた5人でアレンジするという形をとっている[25]。
- katsina session(カチナセッション)
- 伊澤(ピアノ)以外のメンバーは、タブゾンビ(トランペット、SOIL&"PIMP"SESSIONS)、日向秀和(ベース、ストレイテナー、Nothing's Carved In Stoneなど)、柏倉隆史(ドラム、the HIATUS、toe)。
- レコーディング
- ライブサポート